イチローらのバット作った久保田氏引退
米大リーグ・ヤンキースのイチロー選手や元大リーガーの松井秀喜さんら数多くの野球選手のバット作りを手掛けた久保田五十一さん(70)が28日、勤務先のミズノテクニクス養老工場(岐阜県養老町)で記者会見し、55年の職人生活に4月で終止符を打つことを明らかにした。
養老町出身の久保田さんは中学卒業後、「自宅から近かった」との理由で同社に就職。バット作り一筋の生活を送り、2003年には国が卓越した技能をたたえる「現代の名工」に選ばれた。後継者が育ったことや、4月で71歳を迎え残りの人生は自由に過ごしたいとの希望もあって、退社を決意した。
55年間で製作したバットは40万本以上。脂が乗った1970~80年代には、年間200人の野球選手に自分のバットを提供した。「関わった選手は数えきれない」という。
会見では名選手との思い出に触れた。元中日の谷沢健一さんには試合でなかなかバットを使ってもらえずに悩んだが、重心の位置を変えると「このバランスなんです」と褒められ、初めて職人としての満足感を味わった。落合博満さんにはグリップの太さがいつもと0・1ミリ違うだけで指摘され、野球選手の道具作りの厳しさを教わった。
松井さんからは「野球人生のすべて、久保田さんの削られたバットで打席に立てたことは僕の誇り」とのビデオメッセージが寄せられ、初のセ・リーグ本塁打王を取った1998年に松井さんからプレゼントされたバットは「大事な宝」と述べた。
職人の技を引き継ぐ名和民夫さん(46)と渡辺孝博さん(42)には、バット作りにかける情熱の大切さを教えた。これまでは契約選手の成績を気にして野球観戦が十分楽しめなかったが、「今後はバットを通さず、素直に野球の試合を楽しみたい」と笑顔を見せた。