西郷の引退会見に見た執念とすごみ

 球史に名を刻んだ名選手がバットを置いた。ホンダ・西郷泰之内野手(43)が25日、現役引退会見を行った。高校卒業後の1991年から四半世紀に渡って、アマチュア最高峰の世界でプレー。数々の実績を残した左打ちのスラッガーは、いつしか“ミスター社会人野球”と呼ばれる存在となった。

 都市対抗野球大会の優勝6度(補強選手としての出場含む)は史上最多。同14本塁打は杉山孝一(新日鉄名古屋)と並ぶ最多タイ。社会人ベストナイン受賞6度も最多タイだ。日本代表としても長く活躍し、96年アトランタ五輪では、井口(ロッテ)、福留(阪神)、谷(元オリックス)、松中(前ソフトバンク)、今岡(元阪神)らそうそうたる面々とともに、銀メダル獲得に貢献した。

 アマ球界の大功労者の引退会見。登壇した西郷の様子に少なからず驚いた。「野球が好きで、できることならずっとやりたい気持ちはあります」。率直な心境を明かすと、笑顔はほとんど見せず、かといって涙もなかった。世代交代などのチーム事情から、来季構想外を伝えられたのは18日。「しょうがない」と、それを受け入れながらも「寂しさや悔しさはありました」。随所にかいま見せたのは、現役への強いこだわりだった。

 ホンダ・長谷川寿監督は、西郷の一番のすごさを「執念、ですかね」と挙げた。社会人野球では、主力でも30代前半で現役を退く選手がほとんど。30歳を過ぎた頃から「私もそうでしたけど、どこかで集中力が切れるんです」という。

 しかし、西郷は43歳となった今でもそれがなく「キャッチボールにしてもダッシュにしても、練習の一つ一つを抜かない。終わったあともずっと走っている。気持ちがすごい」と、舌を巻く。長野(巨人)もたびたび、社会人時代に受けた影響を明かしているほどだ。

 歩んだ道のりも、飽くなき執念の証しといえる。99年は練習中にマシンのボールが直撃し、頭蓋骨骨折。04年は本社のリコール隠しが発覚し、所属の三菱ふそう川崎が半年間活動を停止。08年には休部が決まり、36歳でホンダに移籍した。しかし、苦難に直面した直後の00、05、09年は都市対抗で優勝。逆境を常にバネにしてきたからこそ「野球自体がつらいと思ったことはないけど、野球ができない時期が一番つらかった」という言葉には重みがあった。

 思い出に残るプレーを問われると「初めて社会人に入った時のことを一番に思い出す」と答えた。高校までとはあまりに違うレベルの高さに「2、3年でクビになっておかしくないと思った。必死になって練習して、プレーできた結果が、25年になったと思う」と振り返った。高校では通算5本塁打。そこから社会人の頂点を決める大会で14本塁打を放つ選手にまで上り詰めた裏には、並大抵ではない努力があったに違いない。

 アトランタ五輪の頃には、プロ入りを意識したこともあったが、かなわず。以降は「もう一度、自分を見つめ直して」ひたすらに社会人の舞台で野球を追求してきた。

 “ミスター社会人野球”と呼ばれても「ありがたいけど、そういう選手とは思っていない。自分はただの一選手。はっきり言って、人より優れている部分は一つもない」と自己評価した西郷。それでも「ただ…野球が好き、野球をやりたいという熱い思いだけはありますね。一番とは言わないけど」と続けると、ほんの少し笑った。

 自分に満足しないからこそ、一切の妥協なしに練習に取り組み、25年という月日を戦い抜けた。そして、数々の栄光と第一人者の名声を得てなお、引退会見で「ずっと現役を続けたい」と、野球への渇望をみなぎらせる。その姿に、西郷を“ミスター社会人野球”たらしめた執念とすごみを見た気がした。

(デイリースポーツ・藤田昌央)

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