親子三代PLの河野、前日骨折の不運に泣く 元監督の祖父「これで終わりじゃない」

 「高校野球大阪大会・2回戦、東大阪大柏原7-6PL学園」(15日、花園球場)

 胸の「PL」の文字をギュッと握りしめたまま離さなかった。「できることをやろうと思った…」と言うと、それ以上は言葉が続かない。二塁で先発予定だったPL学園・河野友哉内野手(3年)は、試合前日の14日の練習中に外野手の正垣静玖外野手(3年)と激突。左大腿(だいたい)部を骨折し、試合出場はかなわなかった。

 松葉づえの痛々しい姿で球場入りしたが、試合中は一度もベンチに座ることはなかった。つえは脇へ置いたまま、右足だけで道具を運び、ゲキで仲間を鼓舞した。

 試合後は、ナインが次々と河野に抱きつき「友哉、ゴメン!」「お前がおらんかったらここまで来られへんかった」と泣きじゃくった。164センチの小さな体にPLの看板を背負ってきたことは、皆が知っていた。

 元監督の河野有道さんを祖父に持ち、父の道貴さんもOB。親子三代のPLっ子は、当然のようにPL学園に入学した。不遇の時代となることはある程度わかっていた。有道さんは部内の不祥事で辞任し、そこから監督不在、野球経験のない監督の就任と混迷は続いていた。甲子園を目指すなら、他校を選択することも許された。

 しかし、少年が甲子園とともに追い求めてきたのは「PLの誇り」だった。子供の頃に憧れたのは、最後まであきらめないナインの勇姿だ。この試合で仲間は“逆転のPL”を体現するかのように試合を一度はひっくり返した。自分もベンチでともに戦った。河野は「最後までPLらしい野球ができました」と泣きながら胸を張った。

 長い歴史にいったんピリオドを打つ。孫が背負った重責には、元監督の有道さんも心を痛めていた。試合後、ファンに見送られて球場を出た孫にそっと近づくと、黙って肩を貸した。その肩に河野もすがりついた。

 「これで終わりじゃない。残りの高校生活をきちんとやれ。そして、これからもPLの看板を背負っていると見られることを忘れるな」。有道さんが送ったメッセージだ。

 今後も野球は続けていく。「この悔しさは絶対に忘れない。ここでやってきたことを生かしてしっかりやりたい」と河野。これからの人生でも「PL」の看板は背負い続けていく。覚悟とともに、最後の夏が終わった。

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