岡山大会決勝 あの時、どうすべきだったのか
初めて見る前代未聞の光景だった。優勝だと信じ、マウンドで歓喜の輪を作った玉野光南。審判員に整列するよう促されても、泣きながら自打球を訴える創志学園の難波侑平外野手(2年)。その瞬間を一塁カメラマン席から見ていたが、勝負の行方がどう転ぶのかは分からなかった。
九回表1死一塁、玉野光南が1-6-3のダブルプレーを完成させた。ただ左打席の後方から見ていると、確かに打球は足に当たってグラウンドに転がるような軌道を描いた。難波は試合後、「左足です」と当たった箇所を説明した。左打者の軸足に打球が当たった場合、捕手の後ろにいる球審からは完全な死角となって自打球かどうか判断しづらい。
その直後、難波はすぐさま足を指さしながらボールが当たったことを球審にアピールした。その間、ボールは投手から遊撃手、一塁手へと転送され“ゲームセット”。すぐさま歓喜の輪がマウンド上にできあがった。
試合後、山河毅審判委員長は「不手際があったと思います」と認めた。「(ファウルになったのは)4人が集まって判断し、一致した結果です。アンパイアミステイクということで」と判定の変更はルール上、問題はない。例えビデオ判定でなくとも、プロ野球で判定が変わった実例がある。では何が“不手際”だったのか-。それは審判員の動き方だ。
アピールがあった場合、プレーが完結していてもすぐ協議に移るのがベストだった。ましてや球審から見て死角だった場合、他の審判員に判断を仰ぐのが本来の動きと言える。当該ゲームの責任審判は一塁塁審。塁審がタイムをコールし、協議に入っても良かった。
さらに4氏は試合後、いったんはホームベース後方に整列した。もし創志学園がアピールせず、整列に応じていたらゲームセットがコールされていたかもしれない。全員がベンチに下がったことで、ようやく審判団は協議を開始。約5分間、バックネット裏で協議し、自打球と認めファウルとしてゲームを再開した。
山河審判委員長は「ビデオ判定はしておりません」と明かした。そうなれば打球が飛んだ直後、ファウルと認識していた審判員がいたということになる。ただ難しかったのは焦点となるプレーが“ゲームセット”、“甲子園決定”というシーンにつながってしまったこと。一塁へボールが転送され、玉野光南ナインが歓喜の輪を作るまで時間はかからなかった。かなりのレアケースだけに、一連の流れを止めるべきか否か-。前例がないだけに審判団に迷いが生じたとしても、不思議ではない。
高校野球の審判員はボランティア。会社勤めをしながら、高校球児のために有給を取得してゲームを裁いている方々もたくさんいる。大会前には審判講習会も行われ、およそ1日がかりでルールの確認や動き方のレクチャーが行われている。それでも“盲点”と考えられる事案が起こっただけに、同委員長は「ああいう時の対応の仕方を考えていかないといけないと思います」と対策を検討していく方針を明かした。
過去にいろんな事例を教訓として発展し、100年以上にわたってファンから愛されてきた高校野球。同じような悲劇を繰り返さないためにも、また前へと進んでほしい。(デイリースポーツ・重松健三)