【はい上がったDeNA】先発転向から3年 エースに成長した山口
DeNAは今季、11年ぶりのAクラスとなる3位に入り、球団史上初めてCSに進出する。長きにわたる低迷を抜けだし、上昇に転じた要因はどこにあったのかを検証する。第2回は、プロ11年目で初の2桁11勝(5敗)を挙げた山口俊投手(29)に迫る。リリーフで実績のある右腕を先発に転向させた中畑前監督、そして前監督の方針を継承したラミレス監督の“共同作業”が、成功した。
山口は大分・柳ケ浦高から2005年度高校生ドラフト1巡目で横浜(現DeNA)に入団。2009年からリリーフとして1軍に定着し、10、11年と2年連続で30セーブ以上をマークした。
しかし13年は故障もあってわずか7セーブに終わると、翌14年も開幕から不振。当時の中畑監督は先発に転向させることを決断する。「もう、それしかないだろう」。抑えで機能しなくなり、もはや最後の手段だった。しかし、これが大きな転機となった。
同年6月1日のロッテ戦で7年ぶりに先発し、6回2安打無失点で勝利投手に。先発で勝利を挙げたのは、プロ初登板の06年6月29日・巨人戦以来だった。「抑えでプライドを持ってやっていた。悔しい気持ちもあるが、プロの世界なので」と、やむなく受け入れたコンバートだったが、結局同年はトータルで8勝を挙げる活躍を見せた。
「先発・山口」の生みの親が中畑前監督とすれば、育ての親はラミレス監督だろう。先発転向2年目の15年、わずか3勝に終わった山口を、ラミレス新監督は就任早々「エースは山口」と明言して自覚を促し、年明けには開幕投手に指名した。「成功するシーズンにするために、彼には期待している」。その潜在能力を見極め、絶大なる信頼を寄せた。
山口も期待に応えた。右足首の捻挫で開幕投手は回避したが、4月9日のヤクルト戦で初勝利。その後もコンスタントに白星を重ね、プロ11年目で初の2桁勝利に到達した。
これまで安定した成績を残せなかった原因を、山口は「自分の課題はメンタル面」と語る。今では、ピンチを迎えるとマウンド後方で屈伸するなど、自分なりの克服法を実践。これも成長の要因の一つとなっている。
規定投球回にはわずかに届かなかったが防御率は2・86と安定しており、完投数は巨人・菅野と並んでリーグ最多の5。加えて被打率・218は、防御率トップの菅野(・228)、最多勝の広島・野村(・241)よりも低い。
上位2チームのエースに劣らぬ力を持つ山口。ポストシーズンで、チームの命運を握る存在と言える。(データはスタッツ・ジャパン提供)