仙さん殿堂入り「みなさんに感謝」 中日で2度、阪神でもV 楽天で悲願日本一
野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りを発表した。競技者表彰のエキスパート表彰では監督で中日、阪神、楽天をリーグ優勝に導いた星野仙一氏(69)=現楽天球団副会長=と「カミソリシュート」で通算201勝を挙げた平松政次氏(69)、プレーヤー表彰では西武の黄金期を司令塔として支えた伊東勤氏(54)=現ロッテ監督=を選出。特別表彰ではアマチュアの名審判とうたわれた郷司裕氏(故人)、公認野球規則の生みの親の一人である鈴木美嶺氏(故人)が選ばれた。
現役、そして指揮官として自らの野球人生を熱く彩ってきた「闘将」が球界最高の名誉を手にした。星野氏は「私には本当に似合わないような席。何かの間違いが起きたのかな」と照れを隠しながら、「本当に名誉ある殿堂入り。みなさんに感謝しなきゃいけない」と喜びを表した。
中日でエースナンバー「20」を背負った時代から、「打倒・巨人」に闘志を燃やした。祝辞を述べた明大、そして中日の先輩である杉下茂氏も、1974年に星野氏が沢村賞を獲得する活躍でリーグ優勝に貢献した際に「『日本シリーズは邪魔。俺はもうジャイアンツに勝ったんだから、いいんだ』と言ったのを覚えている」というエピソードを明かした。
星野氏も「本当です。覚えてます。『巨人に勝ったんだから、もうええやないか』と。今思えばもっと真剣にやっとけばよかったと思うんですけど」と苦笑する。その熱い思いは指揮官となってからも変わらなかった。
監督就任2年目の88年に中日をリーグ優勝に導き、第2次政権の99年にもリーグ優勝。02年に前年まで4年連続最下位の阪神の監督に就任し、翌03年に金本、赤星、今岡らを擁して18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。監督を退任後は、オーナー付シニアディレクター(SD)として、05年のリーグ優勝を陰から支えた。
そうした功績も「選手たちのおかげ。その時その時の選手がしっかりやってくれた。その証しじゃないかな」と選手への感謝を忘れない。3度のリーグ優勝を飾っても日本一にはなれなかったが、好機は楽天監督時代の13年に訪れる。球団初のリーグ優勝を達成すると、日本シリーズの相手は因縁の巨人だった。
「他のチームだったら、燃え方が70%ぐらいしかいかなかった」と、東日本大震災後の仙台に歓喜を呼び込んだ瞬間を振り返った。下位チームを引き上げるために心がけたことを星野氏は「思いやりかな。ユニホームを脱いだ後の人生の方が長いんだからね。そういう指導をしておかないと」と明かす。
熱く、優しく走り続けた野球人生。その思いを、今後は子どもたちへ注ぐ。「子どもたちの底辺拡大も含めて、野球界が一つになっていくことを後押ししていきたい」。野球の未来へ「闘将」の戦いは終わらない。