東出引退…貫いた「生涯カープ」
広島・東出輝裕内野手(35)=選手兼2軍野手コーチ補佐=が今季限りで現役を引退することが7日、分かった。既に球団に申し入れ、了承された。近日中に広島市内で引退会見を開く。度重なる故障を乗り越え、チームリーダーとして一時代を築いた小柄な求道者が、鯉党から愛された「背番号2」のユニホームに別れを告げる。
心を情熱の赤に染めた求道者がユニホームを脱ぐときがきた。この日、東出はデイリースポーツの取材に応じ「もう決めました」と、現役引退を決意したことを明かした。既に球団に意思を伝え、了承されたという。来季は「未定」だが、球団はその人望と指導力を高く評価。コーチ業で手腕を発揮することになりそうだ。
決意を真っ先に伝えたのは苦楽を共にしてきた香奈夫人だった。「もう、やめるよ」。引退を覚悟したのはプロ15年目、13年春のキャンプ中。紅白戦で左膝前十字じん帯を断裂し、大手術を余儀なくされた夜に心中を告白。人生を共有する理解者は深くうなずいた。
12年に新人の菊池が台頭したこともあり、退路を断って懸命なリハビリで再起を期したものの、以来1軍復帰はかなわなかった。昨オフ、球団から選手兼2軍野手コーチ補佐を打診され受諾した。今季は後進の育成に力を注いできたが、脚力が生命線の選手業だ。膝に致命傷を抱えた時点で引き際を悟った。
金の卵であふれた松坂世代で育ち、春夏の甲子園に出場した敦賀気比時代は投手兼内野手でプロの複数球団から注目された。3年時に招集された高校日本代表では松坂、杉内、和田、新垣ら神童を目の当たりにし、代表を率いた中村順司監督(当時PL学園)の助言もあって内野手一本を決心。98年度ドラフトで広島から1位指名を受け、「プロになる」という小学4年時に誓った夢をかなえた。
体格のハンディを練習量と筋力強化で克服した。プロ1年目の5月に巨人戦で初先発初安打のデビューを飾り、過渡期のチームに新風を吹き込んだ。だが順風なプロ人生は4年目に暗転。右太ももの故障で長期離脱し、以降3シーズン定位置を失った。そんな逆境下でも尊敬する前田智徳の激励を支えに無休で技術を磨き、再起を目指した。自ら「分岐点」と振り返ったのは06年。開幕カードで中日の川上憲伸から安打を放ち、これを機にレギュラーを奪回。不死鳥のごとくカムバックし、輝きを取り戻した。
FA権を取得した08年に破格条件で獲得調査を行う球団もあったが、広島球団への恩義を貫き残留。「生涯カープ」を誓い選手生命をまっとうした。記憶に残る不屈の背番号2が「悔いのない17年間」にピリオドを打つ。