新井2千安打!報われた18年の努力
「ヤクルト3-11広島」(26日、神宮球場)
不断の努力は才能を凌駕(りょうが)した。広島・新井貴浩内野手(39)がヤクルト(3)戦の三回、成瀬から左翼線適時二塁打を放ち、史上47人目の通算2000安打を達成した。ドラフト6位以下の大卒選手では、プロ野球史上初の偉業到達。プロ18年目で名球会の扉をこじ開けた。
歩んできた野球人生と同じように、白球は一直線に左翼線へ飛んだ。三回、無死二塁。通算2000安打目の打球が、左翼フェンスで強く跳ねる。両軍から花束を手渡され、スタンドに5度、頭を下げた。プロ18年目、通算2112試合、7966打席目。史上47人目の快挙を球場全体が祝福した。
「僕は本当に幸せな選手です」。記録も試合も4番で決めた。勝利の瞬間、新井を待つ声がグラウンドに響く。スタンドが赤く、赤く揺れる。「広島に戻れなければ、あるわけなかった」と言う偉業。「なんと言っていいか…。本当にありがとうございます」。こみ上げる思いを抑えながら声を張り上げた。
「2000本?遠い、遠い数字ですよ」。師、兄と慕う金本知憲(現阪神監督)が、2000安打に到達した2008年4月12日の横浜戦(横浜)。1000安打を記録した新井は、そう言って笑った。「もう無理だ」と感じたプロ1年目。だが、運命は新井に味方した。FAで江藤が巨人に移籍したことで「4番・三塁」が空白に。育成急務のチーム事情が新井を育てた。
光の数だけ影があるように、努力の数だけ流した汗がある。涙がある。03年。阪神に移籍した金本に代わる形で、山本監督から4番に任命された。焦り、力み、重圧で大失速。だが、4番は不動だ。7月10日の阪神戦(広島)。たまったフラストレーションが一気に爆発。観客の心ないヤジに、生涯初めて応戦した。
次戦の12日・中日戦(広島)。ついに4番を外れ、6番に降格する。練習前に1人、監督室に呼ばれた。
「新井よ。しんどいか、苦しいか?」
叱られたわけでも、慰められたわけでもない。だが、涙が止めどなくあふれた。「悔しいし、苦しい。ホッとした気持ちもあった」。どんな過酷な練習にも耐えてきた男が、初めて流した涙だ。終盤戦から4番に戻り、04年も固定。翌05年に本塁打王獲得という形で、指揮官の辛抱、新井の努力は結実した。
わらわれて
しかられて
たたかれて-。
大野寮とオーナー室には、球団方針を記す額縁が飾られている。愚直に強く、前向きに。「あいつはあの言葉そのものだな」。鈴木球団本部長が言う。FA移籍した選手の復帰。球団では過去に例がなく、内部にも少なからず反発もあった。「どのツラ下げて帰れば…」。何度も電話をかけ、困惑する新井を根気よく説得した。
最終的には緒方監督も背中を押した。「僕が全力で守ります」。結果的に守る必要はなかった。必死な姿は若手のお手本になり、懸命な姿はファンの胸を打った。「思い出が詰まった」神宮球場が赤く揺れる。「本当に勝ってよかった。最後の最後に、みなさんと一緒に笑顔になりたい」。夢にはまだ、続きがある。さあ、頂点へ。勝利につながる安打を紡ぎ続ける。