【新井独占手記】カープに戻ってきて本当に良かった
おめでとう、そしてありがとう-。25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島・新井貴浩内野手(39)が、デイリースポーツに喜びの独占手記を寄せた。18年目にして初めての栄冠。色紙につづった「優勝」の2文字を書く手は震えた。いま、明かす黒田との約束、ドラマを超えた感動の1年。思いの丈を明かした。
◇ ◇
本当に夢みたいだ。
黒田さんの泣いている姿を見ると、もう我慢できなくなって。言葉にならなかった。抱き合って、あれで一気にきましたね。僕の胴上げはいい、と言ったんですけど…みんなが、ね。うれしかった。けど、それ以上に25年間、待っていてくれたファンの方が喜んでくれるというのが一番うれしい。本当にありがとうございました。
18年間のプロ野球人生だけじゃなく、アマ時代も含めて初めての優勝。カープファンだった僕の思い出は日本シリーズ。(84年)阪急との対戦がデーゲームだったので、学校で内緒で先生に見せてもらった。僕自身にとってもそうだったが、広島という街にとってカープというのは希望であり、誇りだと思う。
歴史というか…原爆を落とされて、戦後復興の希望の光がカープ球団だった。たる募金とかもそう。本当に地域に根付いているというか、特別な球団だと思う。入団して18年目。いろんなことがあった。その中で生涯、忘れることのできない打席が昨年の開幕戦だ。
あの時もらった大声援は忘れることができないし、あの打席があったからこそ今がある。本当に足が震えて涙が出そうになった。絶対に“今度は自分が喜ばせてあげるんだ”という気持ち一つでやってきた。心が体を動かせてくれた。ファンの人が喜んでる姿を見るのが、本当にうれしい。
今季を振り返るとポイントは多くある。目に見えないプレーも。ただ、それでも巨人戦、2死からキクの同点ホームラン(8月7日=マツダ)。最後に俺がおまけみたいな感じでサヨナラを打ったけど。やっぱりあの試合はターニングポイントだった。ここで決める、と。打てるとか打てない…とかじゃない。ここで決めるんだと、決まるんだと思っていた。あまり経験のない、不思議な感覚だった。
黒田さんと一緒に優勝。夢みたいだ。まだ若かったころ、2人でよく優勝の話をした。ただ当然、そのつもりでやっていたけど、どこか現実離れしたところもあった。初めてFA権を取って、移籍を悩んだのは07年。先に移籍を発表したのは自分だが、前から黒田さんのメジャー挑戦を感じていた。実はこの時、「俺も何年向こうでやるか分からない。守っていてくれと、それまで頼む」ということを言われていたから。
いろんなことが重なった。広島を出たくなかったのは本当。出てはいけない選手だし、出たくなかった。もう一回、金本さん(阪神監督)と一緒に野球がやりたい。でも正直、黒田さんがメジャーに行かなかったら、絶対に残っていたと思う。いろんなことがありすぎてね。言葉で表すのはすごく難しい。本当に優勝できてよかった。
優勝の可能性が出てきた後半戦。ここからが本当に長かった。5月からずっと追われる存在。1日、1日がすごく長く感じた。本当はすごく巨人が気になっていたし、あと何試合、あと何ゲームだと。なにかもが初めての経験。追い込まれるのは本当につらかった。充実感はある。充実した毎日だった。ただ、楽しく充実するのではなく、苦しくて充実していた毎日だった。
毎年、他球団の選手が胴上げをして喜んでいるのを、うらやましいな…と思って見てきた。プロで18年やってきたけど最高のチームだね、本当に最高。小窪の存在も大きかったし、一体感がウチの強さだ。幼少期に見た日本シリーズ。いつか自分がとか、なれるとは思っていないし、考えることができなかった。まさか…自分がね。
ここ1カ月、2カ月前から、寝る時に優勝シーンを思い浮かべた。それだけで目頭が熱くなる。想像しただけで、もう駄目で…。今、この年になって初めての経験をさせてもらっている。カープに戻ってきて、戻ることができて本当によかった。自分の野球人生だけど、客観的に見て、ドラマでもないような。ドラマでもできすぎて、それはないだろーっていう筋書きだから。夢みたいな感じですね。ファンの皆さん、おめでとうございます。そして、ありがとうございます。(広島東洋カープ内野手)