04年球界再編で生まれたカープの危機感…政、財、民一体の勲章
「巨人4-6広島」(10日、東京ドーム)
広島カープがついに、ようやく、25年ぶりにリーグ優勝を手にした。12球団で最も遠ざかっていた頂点。就任2年目の緒方孝市監督(47)が7度、宙を舞った。
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25年-。文字にすれば簡単だが、流れた時の長さを思う。多くの人に見せることのできなかった、約束のドラマ。鈴木球団本部長が遠くを見る。「たくさんの人に『死ぬ前にもう一度、優勝が見たい』と言われてね」。かなえられなかった思いがある。「暗黒」と言われた低迷期。それは、変革を求めたプロ野球界の歴史と重なる。
四半世紀の中で転換期は3度あった。
1993年。「逆指名制度」が導入され、有望選手は人気球団に集まった。同じく導入された「FA制度」により優勝を狙えるチーム、力や資金力ある球団へ有力選手の移籍が進んだ。現在でも広島は12球団で唯一、FA制度での補強がない。そればかりか川口、江藤、金本、新井、大竹寛。主力は次々と流出した。
松田オーナーは言う。「覆すだけの形や手段を見つけて、優勝ができると信じていた。一矢報いたかったが、結果的には甘かった」。カープアカデミーの設立や、緻密なドラフト戦略。対抗する手立てを探したが、優勝には遠く及ばなかった。
94年は3位。95年は、アカデミー出身のロビンソン・チェコが15勝を挙げるなど大活躍したが、2位に終わった。96年は「メークドラマ」として、プロ野球史に残る歴史的敗者となった。「下位に沈んでしまうと、抜け出すのは本当に難しかった」。同オーナーが明かすように、チームは負のスパイラルにはまった。以降は15年連続、Bクラスの低迷期に突入した。
制度の不利に辛酸をなめたが抵抗、対抗し続けた歴史は誇りでもある。07年。裏金問題で希望枠撤廃が議論された時は巨人、ソフトバンク、そして広島が反対した。そこにプロ球団としての矜持(きょうじ)があった。同本部長が続ける。
「なくなれば球団にとってはプラス。ただ、日本球界にとって選手の希望を全く聞かなくなれば、メジャーに志向を変えてしまう懸念があった。例えば、自分の子がそういう状況になったら、どうなのか。12球団のことを考えないといけない」
04年に「球界再編問題」が起こる。近鉄球団の消滅、合併。広島も球団消滅、合併、買収のうわさが流れた。収入源だった放映権は半分以下に削減。実際は、1リーグ構想の中でも存続が決まっていたが、同本部長は「近鉄消滅という衝撃の中で、カープはどうなるんだ…と。新球場を作らなければという流れになったのは確か」と振り返る。おらが街の球団をなくすな-と、市民が、政財界が新球場設立の機運を高めた。
広島で募金と言えば「樽(たる)」が付く。球団設立2年目の財政難が始まりだが、新球場設立にも樽募金で1億を超える市民のお金が集まった。「募金を行政のお金に入れて、一緒にモノを作れるのは広島くらいだろう。小さい子供から、みんなのお金でできている。だからみんな自分たちのものだと思ってくれている」とは野平広報室長。原爆で壊滅した街の復興を旗印に、広島と共に歩んできた。街に根付いた「地域球団」として、誇りがある。
「地方球団だからこそあり得ること。政、財、民が一体となれる。ローカルの強みがそこにあったと思う」
09年に新球場が完成した。ハード面にグッズ販売など、ソフト面も充実させながら来場者数は上昇の一途。昨年は球団設立後、初めて200万人を突破した。「球界再編がなければ、もう少し完成は遅れていたかもしれない。時間はかかったけど、誰が見てもいい球場になった。胸を張って提供できた、という思いがある」とは鈴木球団本部長。25年、時間はかかった。苦難、困難にも泣きながら、乗り越えてきた25年。それは広島の街全体で手にした勲章だった。(デイリースポーツ・田中政行)