猪瀬都知事、妻の四十九日に大願成就
東京都の猪瀬直樹知事は「これで東京も元気になる。希望をつくることができました」と万感の表情で話した。最終プレゼンテーション終了後、IOCのロゲ会長から「おめでとう」と声を掛けられ、勝利を予感した。「スポーツ選手だったら、いい試合をした後の、そういう満足感がある」。そう話すほど最後まで全力を尽くした五輪招致活動が、実った。
昨年12月、東京都知事に就任して以来、よくも悪くも先陣を切って東京招致を訴えてきた。66歳は海外で毎朝ランニングする姿を公開し、スポーツ好きな知事とアピールした。3月に国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会が会場視察した際には、自らの発案で車いすテニスの国枝慎吾(ユニクロ)とコートでラリーをするサプライズも演出した。
一連のパフォーマンスの一方で、4月には米紙上で「イスラムはけんかばかり」などと、ライバルであるトルコのイスタンブールをおとしめるような不適切発言もあった。
これで暗雲が漂ったが、発言を謝罪し、その後は懸命に挽回に努めた。専門家について苦手な英語を特訓。5月の招致プレゼンテーションでは身ぶり手ぶりで「東京では財布を落としても手元に戻ってくる。しかもお金が入ったままで」などとユーモアを交えてスピーチした。体当たりで東京を売り込み続けた。すべては「バブル崩壊以降、日本人の心に閉塞感がある。2020年東京五輪という夢が実現することで、心のデフレを取り除きたい」という一心だった。
悲しみを乗り越えての悲願成就だった。7月21日、最愛の妻、ゆり子夫人が悪性脳腫瘍のため65歳の若さで亡くなった。それまで招致活動で行動をともにしていたが、体調不良を訴え、5月末のロシア行き同行を取りやめた。突然余命数カ月と通告されたからだった。
3月のIOC評価委員視察の際に、知事は委員らとの会話内容を問われ「いい男の影にはいい妻がいると言ってくれました」と答えたことがある。自慢の妻を亡くした悲しみに暮れながらも、招致活動に全力を注ぎ続けた。招致が決定したブエノスアイレス時間の9月7日は、ゆり子夫人の四十九日だった。