竹田理事長IOC委員で見事な存在感

 いつも柔和な表情を浮かべる東京五輪招致委員会の竹田恒和理事長が、東京の五輪開催が決定すると、顔をくしゃくしゃにした。「この喜びを何年も、何年も、待っていた」と感無量の表情だった。

 日本オリンピック委員会(JOC)会長は「次代を担う子どもたちに夢を届けるためにも開催を実現させたい」とスポーツ界の代表として、猪瀬直樹東京都知事と招致の2トップを結成。招致運動の先頭を走り続けてきた。

 日本唯一のIOC委員は、この2年間で地球10周分を移動したという。馬術で1972年ミュンヘン、76年モントリオール両五輪に出場。84年ロサンゼルス五輪から3大会続けてコーチ、監督を務めたスポーツマンは「体力には自信がある」と、65歳とは思えぬエネルギッシュな行動力で世界各国を飛び回ってきた。

 長くIOC委員を務めた猪谷千春、岡野俊一郎氏が定年で退任し、103年ぶりに日本人委員が不在となっていた昨年7月に、IOC委員に選出された。英語が堪能で、温厚な人柄に同僚の委員の厚い信頼を集めた。明治天皇の孫で「プリンス・タケダ」と呼ばれた父・恒徳氏は15年間IOC委員を務めたが、親子2代で付き合いがある委員もおり、IOC内に幅広く人脈を築いてきた。

 8月末に東京電力福島第1原発からの汚染水漏れが欧米でも報道され、東京の招致は窮地に立った。竹田理事長はすかさず8月27日付で約100人のIOC委員に手紙を送った。「大気と水は毎日チェックされ、問題となるような兆候は一切ないことを政府も確認している」などと手紙にしたため、不安を打ち消した。14年ソチ、18年平昌両冬季五輪調整委員会メンバーに選ばれるなどIOC内で発言力も増したことも、東京への五輪招致に貢献した。

 最終のプレゼンテーションでは「東京に投票してください」と3度、繰り返して訴えた。日本人のIOC委員は1909年に初めて就任した故嘉納治五郎氏から数えて13人目。ロビー活動が苦手とされてきた日本だが、竹田理事長の存在感も勝因の一つとなった。父は88年の名古屋大会招致で無念を味わったが、今回、その雪辱も果たした。

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