映画「独立愚連隊」の佐藤允さん死去

 映画「独立愚連隊」(1959年)に主演するなどした俳優・佐藤允(さとう・まこと)さんが昨年12月6日、急性肺炎のため横浜市内の病院で死去していたことが8日、分かった。78歳。俳優座出身で、加山雄三(75)らと共演した「暗黒街」シリーズなどでも活躍。「和製チャールズ・ブロンソン」と呼ばれた独特の風ぼうで存在感を発揮した。葬儀・告別式は同9日に近親者で済ませた。喪主は長男で映画監督の佐藤闘介(とうすけ)氏(48)が務めた。

 いぶし銀の演技で映画やドラマで活躍した個性派がこの世を去った。

 長男の闘介監督によると、允さんは昨年2月14日に自宅近くの川崎市内の商店街で買い物をしている最中に階段を踏み外して転倒し、頭部を強打。外傷性くも膜下出血を起こして横浜市内の病院に入院した。6月ごろまでは回復傾向にあったが、その後症状が悪化。11月には意識が混濁するようになり、12月6日に急性肺炎を起こし、家族に見守られながら息を引き取った。

 闘介監督が、父のしっかりとした言葉を最後に聞いたのは6月ごろ、「生きて帰る」というものだった。当初は「(自宅のあった川崎市)生田、帰る」と話したと思っていたが、実は允さんが映画「ゼロ・ファイター 大空戦」(66年)のラストシーンで語ったせりふだった。病床で映画のせりふを思い出しながら、生きることをあきらめなかった父の姿が強く印象に残っているという。

 役者として生涯勉強を続けており、自宅で映画を見ることも多かった。「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーがお気に入りで、日本語字幕をそのまませりふとして読んで演技するという意外な一面もあったという。

 允さんは34年佐賀県に生まれ、俳優座を経て56年に映画デビューした。59年に岡本喜八監督の「独立愚連隊」に主演。その後は「暗黒街」シリーズなどのアクション作品で活躍した。米の俳優チャールズ・ブロンソンに似ていることから「和製ブロンソン」と呼ばれ、親しまれた。

 俳優として最後に出演したのは08年のホラー映画「哀憑歌~GUN‐KYU~」だった。ただ、その後も倒れるまではトークイベントなどに出演していた。

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