南野陽子 阪神・淡路大震災20年を語る

 6434人の尊い命を奪った阪神・淡路大震災の発生から、17日で20年を迎えます。神戸市に本社を置くデイリースポーツが、地元にゆかりの人たちからのメッセージを掲載します。その2回目は、兵庫県出身で中高と神戸の学校に通い、震災で同級生を亡くした女優の南野陽子(47)が、被災者と被災地に寄り添う思いを語ります。

 20年前のあの朝、東京に住んでる弟から「お姉ちゃん、テレビつけて。関西が大変なことになってる」という電話がかかってきて、地震が起きたことを知りました。15日まで宝塚の実家にいたんです。祖母が亡くなって、葬儀を終えて東京に帰ってきたところで。

 テレビで阪神高速を見て驚いて、何も分からないまま、都内のドラマロケに行ったんです。ロケバスのラジオで、亡くなった方の人数がどんどん増えていくのを聞いて、気持ちがざわつきました。

 宝塚の実家は壁に穴が空いて、亀裂が入ったくらいでした。自分の家のことより、もっと被害の大きなところに住んでいた友達のことを思うと、すごく苦しくて。自分のお仕事は責任を持ってしなければならないけど、「それどころじゃないでしょ」という思いも強くて…。

 中学から高校2年まで当時実家のあった伊丹から神戸の学校に通ってましたが、震災で同級生が亡くなりました。ショックでしたし、自分の恵まれた環境を恨みたくなるような気持ちにもなりました。

 お別れ会に参列するため、2月に震災後初めて神戸を訪れたら、オシャレな街という印象だったのに、建物が前や後ろに倒れていて。酔うと言ったら変なんですが、建物の方向が一定じゃなくて、自分が正しく立てているのかも分からなくて。

 4月にあらためて休みを取って戻った時は、お友達に会って話を聞きました。私に何かを言えば、それが外に伝わるんじゃないかという感じで、『この思いを何とか伝えて、ナンノ』と言われました。毎日のように震災が報道されていたのが、3月にオウム事件があってそちらに報道の時間が割かれるようになり、言葉を聞いてくれる人が去っていくような悲しみや苦しみがあったから。

 神戸はたくさんの思い出が詰まった場所。ポートアイランドで博覧会があった時は中学生で、風船を飛ばしました。何となく初恋めいた思い出もあったのに、液状化現象でズブズブになって…。

 実家には震災の写真集が3冊ありました。両親なりの、忘れないようにしたい思いがあるようで。1冊は私が東京の自宅に持ってきています。

 東日本大震災や去年の広島(豪雨による土砂災害)など全国でいろんな災害が起きましたが、被災された方々にとって、今の神戸はお手本です。外から見てすごく復興したように感じる神戸のように、自分たちも頑張ろうと思ってる人は、たくさんいるはずです。

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