綾戸智恵 阪神・淡路大震災20年を語る
6434人の尊い命を奪った阪神・淡路大震災の発生から、17日で20年を迎えます。神戸市に本社を置くデイリースポーツが、地元にゆかりの人たちからのメッセージを掲載する。その2回目は、神戸の北野で家族と被災したジャズ歌手の綾戸智恵(57)が、被災者と被災地に寄り添う思いを語ります。
当時は神戸の北野に、母と4歳になる長男と住んでましてん。坂の上のインド人が経営するアパートです。震災では不思議なことがあった。前日に仲良うしてもろてた長田にある船会社の社長さんの家でパーティーがあって、長男と参加して、泊めてもらうはずやった。でも長男が急に「イヤだ。ペッチャンコになるから帰る。ママが血だらけになる」って言い出してん。
帰るとお母ちゃんが居間のこたつで寝てた。それで、私たちも寝室に行かずにこたつで寝た。そしたら地震。電子レンジとか全部落ちてきたけど、こたつで全部止まって無傷やった。寝室にいたら危なかった。社長の家は全壊。泊まってたらどうなっていたか…。
今でもライブで神戸に行くたびに街を歩くけど、昔より静かで暗い。でも復興って、あのにぎやかな時代に戻ることやない。未来に進むことやねん。つぶれたものを元通りにならんと嘆かず、前より良くすればええ。
震災でつぶれた建物が、しらけたビルに建て替わっても、時間がたてば老舗になっていく。海岸通りの明治時代の感じのビルかて、明治には青かったはずや。
8年間続けている病院を回るボランティアのライブでも言うねん。骨折したことある人の方が、健康や命のありがたみが分かる。痛い目に遭うた人しか、優しくなられへんのやからって。復興も同じ。痛みをバネにするしかないねん。
東日本大震災直後に宮城で歌う仕事があって「こんな時に歌なんか聴きに来えへんやろ」と思ってたけど、いっぱい来てはった。「おたくら、家建てるのが先なのに、こんなとこ来てよろしいのか」と聞いたら、お客さんがこういうた。
「家建てる前に心建てないと。歌うてちょうだい」
この言葉にはガーンと来たね。私にとって歌は“食いぶち”だったけど、あのときに“夢”になった。「痛みを伴った人に喜んでもらうのが私の歌や。私は炊き出しじゃなく、自分にしかできない歌を歌えばええんや」と分かった。
東日本大震災の1週間前には、福島のいわきでライブをやった。その後、ライブに来てくれたお客さんと話す機会があって「どうでした?」と聞いたら「家は全壊でした。でもよかった。1週間前だったから、綾戸さんの歌が聴けたから」って。そんな話を聞くと、もう歌の出来栄えなんて、どうでもええかって思える。慈善事業じゃないけど、人が喜んでくれてお駄賃をもらえる。それで十分や。