五木ひろし、熱唱で山口洋子さんしのぶ
直木賞作家で作詞家としても活躍し、昨年9月6日に死去した山口洋子さん(享年77)のお別れの会(デイリースポーツなど12社が発起人)が28日、東京・虎ノ門のホテルオークラで開かれた。生前の幅広い親交ぶりをうかがわせるように、出版界、芸能界、スポーツ界から多くの著名人が出席。山口さんに見いだされスターへの道を歩んだ五木ひろし(66)が、自身が作曲し、山口さんが詞をつけた唯一の楽曲「渚の女」を献歌するなど、約300人が別れを惜しんだ。
祭壇に飾られた山口洋子さんの遺影をじっと見つめた。多くの思い出が頭の中を駆け巡り、心の中には熱い思いがこみ上げてきた。
「山口さんと出会っていなければ、今日の自分はない」。あふれ出る感情を抑えながら、五木はあいさつに立った。
振り返っても、感謝の言葉しか思い浮かばない。1970年秋。すでに歌手デビューしていたものの泣かず飛ばずだった五木は、最後の勝負として「全日本歌謡選手権」に出場した。再起をかけるプロがアマチュアとともに参加した番組。「これでダメなら、歌手を辞める」。覚悟を決め必死に歌い続けた。
人生を変えた出会いは2週目。ゲスト審査員を務めたのが山口さんだった。五木の歌に触れた山口さんは「人生を背負って勝負している。彼ならいける」と、一瞬でスター性を見抜いていた。
五木は見事に10週勝ち抜いたが、山口さんは、結果が出る前に平尾昌晃氏に作曲を依頼し、「よこはま・たそがれ」を完成させていた。71年3月、五木ひろしとして再デビューし、同曲がオリコン総合1位を獲得すると、お互い涙を流し喜んだ。「あの時のことは一生忘れない。一番の思い出」という。
その後も山口さんは作詞家だけでなく、プロデューサーとして、五木をスターへの道に導いてくれた。「夜空」「千曲川」などヒット曲も世に送り出すことができた。
この日、五木が山口さんにささげたのは、自身が29歳最後の日に作曲し、山口さんが詞をつけた、2人の唯一の“合作”「渚の女」(2月25日発売)。最愛の人と会えなくなった女性の心情が描かれている作品に、「山口さんと会えなくなった自分の気持ち」を重ね合わせ、感謝を込めて歌い上げた。
「山口先生は天国へと旅立ちましたが、ずっと作品は生き続けます。僕もずっと歌い続けます。ぜひ天国で見守ってください。そして歌い終わったら、拍手してください」。献歌を終えて、笑顔の遺影に呼びかけた。