“弟子”上岡龍太郎氏「米朝は永久欠番」
上方落語の復興に尽力し、19日に肺炎のため89歳で死去した人間国宝の落語家・桂米朝(本名・中川清)さんの葬儀・告別式が25日、大阪府吹田市の千里会館で神式にて営まれ、約1500人が参列した。2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎氏(73)、かつて一門の弟子として桂小米朝を名乗った月亭可朝(77)ら親交の深かった人々が駆け付け、最後の別れを告げた。仏教の戒名にあたる諡(おくりな)は「故中川清大人之命(こなかがわきよしうしのみこと)」。
寒風吹きすさぶ会場前、出棺を見送る人の中に上岡さんの姿があった。公の場は2011年12月に都内で行われた、立川談志さんのお別れの会以来。めったに人前に出てこない上岡さんも“戦後上方文化の巨人”に最後の別れを告げに来た。
「一般人ですので、堪忍してください」と最初は多くを語ろうとしなかった。だが、生前の米朝さんに「一門みたいなもんやからと言うてくれはったので」と認めてもらった思い出を明かすと、「ただただお礼を、ありがとうてね」と感謝の思いを語り出した。
米朝さんとは深い親交があり、自身の引退後も米朝さんの公演に足を運んだ。楽屋には顔を出さないものの、客席から見ていたという。00年7月には共著「米朝・上岡が語る昭和上方漫才」を刊行。「ホンマすごい人でした。考えられないくらいすごい人でした」と何度も繰り返した。
偉大すぎる米朝の名跡については「次に継いだ人がかわいそう。100年たって知らん人ばかりになったら継いでもいいのかなと思いますけど、まあ“永久欠番”でしょう」と提案した。
現在の自身の映像などの権利も「米朝事務所預かりです」という“米朝一門”の上岡氏。かつての冗舌を取り戻しながらも「横山ノック、桂枝雀、立川談志、夢路いとし・喜味こいし、そして米朝師匠と憧れの人が全部いてません」と悲しみを隠せず。「好きだった人が全部向こうに行きましたので、僕も早く向こうへ。向こうの方が楽しそうや」と“上岡節”で落胆を表現していた。