知花くらら 戦争や平和への思い
1945年8月15日の終戦から70年目の夏、デイリースポーツでは「戦後70年 いま、語りたいこと」と題した3回の特集をお送りします。戦争を知らない世代が増えていく今、著名人が戦争を語り継ぎ、伝えていきます。
第1回はモデルの知花くらら(33)。沖縄戦の集団自決で生き残った祖父の体験を自らリポートすることで戦争に向き合い、国連世界食糧計画(WFP)日本大使としての活動を通して、戦争や平和への思いを語ります。
知花の祖父は沖縄戦の「集団自決」で生き残った。1945年3月末、沖縄・慶良間諸島の慶留間(げるま)島に上陸した米軍から逃げ込んだ壕(ごう)の中。「捕まったら、大変なことになる」と自殺を図ったが、死にきれなかった。
07年、キャスターとして出演していた日本テレビ系「NEWS ZERO」の特集で、知花は祖父の故郷である島に一緒に渡り“祖父の沖縄戦”をリポート。「死ねずに恥ずかしかった」と語る姿に涙した。
「自分が一緒に暮らしてきた祖父の戦争体験を聞くことで、戦争が歴史から身近なものに変わった。祖父が生き残ったから、母が生まれ、私が今ここにいる。つないでもらった命のバトンを、私も次の世代につながなくては」
以来、さまざまなメディアで“祖父の沖縄戦”を伝えてきた。戦後70年たった現在も、沖縄の基地問題や、集団的自衛権の問題など、戦争に関する議論は終わることがない。
「国家や国益といった大きな枠組みの話になりがちですが、私にとっての戦争は、祖父が体験したもの。どんな大義のもとであれ、無駄な命の奪い合い。それを知ったら誰も繰り返したいと思わないはず。私ができるのは戦争がどんなにひどかったかを、具体的に伝えていくことです」
見たこと聞いたことを、自身の言葉で発信し、知ってもらう。その取り組みは、WFPでの活動でも共通している。これまで08年のザンビア、12年のタンザニア、昨年のヨルダンのシリア難民キャンプなどを訪れた。
そこで見つけたのが「幸せの物差し」-。
「アフリカでは、靴がない状態でも学校に通えることだけで幸せ。私は『貧しくて不幸だ』と思ってしまうけど、それぞれの人たちが持つ“幸せの物差し”が存在していると気づいた。何かを支援をする場合、その物差しに従って必要か、耳を傾けられるかが大切。いろいろ考えず、できる限り視野を広げて、膝を折って同じ目線でいられることを心がけている」
幼少時に母から「もしあなたが有名になったら、その影響力で誰かに貢献できるのよ」と告げられ、社会貢献に取り組んできた。
「ルールは完璧を求めず、ムリをしないこと」という。それが知花の幸せの物差し。これからも、自然体で日本や世界の平和に、少しだけ力を貸していく。