野坂昭如さん 死の数時間前まで警告
小説「火垂るの墓」などで知られ、「焼け跡闇市派」を自称していた作家で元参院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが亡くなる直前の9日午後4時頃、雑誌「新潮45」(2016年1月号、18日発売)の連載「だまし庵(あん)日記」の最後の原稿を新潮社に送っていた。
末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」。戦争体験者として最後まで日本人に警告を発し続けた。
新潮社によると、原稿は1941年12月8日の真珠湾攻撃が報じられた情景から書き起こされている。日本の都会で暮らす人々の間で自然や農業への関心が薄れていると、食への危機感を表明。テロが脅威となっている世界情勢にも言及し、空爆では解決できない「負の連鎖」を断ち切ることが必要だとしている。今秋、誤嚥(ごえん)性肺炎にかかりながらも、家族の支えで暮らす日々もつづった。
7日放送のTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」には手紙を寄せた。師走の街がクリスマスのイルミネーションで華やかになっている様子を想像し「そんな世間の様子とは裏腹に、僕は、日本が一つの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と憂慮。
日本が敗戦によって「たった1日で平和国家」に生まれ変わったことにも触れ「同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり戦争をすることにだってなりかねない」と書いた。