実写「火花」なぜネット配信?
第153回芥川賞を受賞し、累計250万部を超える、お笑いコンビ「ピース」又吉直樹(35)の処女作「火花」。映画配給会社、テレビ局など10数社の争奪戦となった実写版は、映像配信の“黒船”Netflixで6月3日から全10話、計530分が一斉配信される。なぜドラマだったのか。なぜNetflixだったのか。歴史的ベストセラーの映像化を託した“3つの決め手”を「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」の山地克明プロデューサーに聞いた。
当然ながら「火花」の映像化権にはオファーが殺到した。山地氏によると、Netflixに決めたポイントは主に3つ。1つ目が「クリエーティブファーストの概念」だという。さまざまなオファーが舞い込む中、Netflixには“条件”がなかった。
「キャスティングも監督のクリエーティブも、公開の時期も任せますという環境。『又吉さんの世界観をそのまま映像化してください』と、それ以外に商業的な縛りがなかった」と山地氏。数字が見込める人気者を並べて、欲を言えば作家の又吉が出演しちゃったりなんかすればニュースにもなるぞ…などと話題性ありきの作品作りは最初から排除。実際、一部では又吉が監督や主演を務めるとの臆測も飛び交ったが、プロット作りなど製作の初期にしか又吉は関与していないという。
ドラマは原作に忠実で、放送コードの制限がないため、賛否両論あった衝撃の“大オチ”も健在だ。又吉からの注文は「盛り上げるために変なエピソードを付け加えるのはやめましょう。今ある世界観を延ばしましょう」の1点。単行本で152ページほどの中編だった原作の“行間”を徹底して膨らませた。
売れない芸人・徳永が天才肌の先輩・神谷と過ごす日々が物語の中心。小説好きを公言する又吉の独自の感性が匂い立つ文体と芸人の肌感覚が成立させた「お笑い」という世界の文学的青春劇は、派手さを欠くとの見方から映像化に向いていないとの意見もあった。
だが「450分尺の映画」を目指した実写版では、徳永の相方・山下とのコンビ関係や芸能界での浮き沈みを丁寧に描写。所属事務所の社長やマネジャー、山下の恋人ら原作にいないか存在が希薄だった人物を色濃く描き、又吉が作った「火花ワールド」を地続きで豊穣にしている。
2つ目には、よしもとの「海外戦略」がある。現在、Netflixは世界190カ国をカバー。インドネシアで人気となったCOWCOWの「あたりまえ体操」など、社を挙げて笑いの国境越えを目指しており、山地氏は「2人がマイクの前でしゃべるだけの職業があることが世界に伝わっていけばいい。“マンザイ”を世界に出していく窓口になってほしい」と期待する。
掛け合いのテンポや間、文化的側面が笑いの主要因になることの多い“マンザイ”は王道ながら世界戦略の中では着手していなかったジャンル。発言のニュアンスが重要となるため、本作の英訳はオーストラリア出身で芸人のチャド・マレーン(36)が担当した。
山地氏は「発言の意味ではなく、意図を訳す。チャドはよく又吉さんに『このせりふは、どういう方向で言ってるの?』と聞きに行ってました。例えば、海外には(ツッコミの基本である)『なんでやねん』(の概念)がない。『お前、何を言ってるんだ』と直訳してもダメで、めちゃくちゃ意訳している」と、英訳ひとつとっても本気度が伝わる。
配信時にはアジアやユーロ圏、南米など19カ国語に翻訳されるが、英訳を他言語に訳す方式。最終的にはヘブライ語やトルコ語などが加わり、24言語に対応する予定だ。今後、Netflixとのタッグで「外国の方の目線で『マンザイという不思議な職業があるんだ』と知ってもらうドキュメンタリーのようなプログラムも準備している」(山地氏)という。
3つ目は「ビジネス的なメリット」が大きかったこと。Netflixには「配信の権利」だけを渡す契約で、よしもとはパッケージ化など今後の展開においてハンドリングをしやすい。
現状ではゼロベースだが「逆に地上波で放送することもできる。グッズを作ったり、マルチメディアでの展開もしやすい」と山地氏。昨年にはフジテレビ系でスタートした「テラスハウス」の新作が、Netflixでの配信1カ月後に地上波で放送された例がある。作品展開の間口の広さも魅力となった。
映像表現や時間尺の制限が少なく、自由に作品を作れる環境。海外に“マンザイ”を輸出したい会社としての戦略。そして、製作後の展開に広がりがあること。従来の枠組みにとらわれない3つのポイントが、映画でも地上波ドラマでもない「火花」を誕生させた。
実写版を見た又吉は執筆当時を思い出し、舞台の中心となる東京・吉祥寺を1時間、散策してしまったほど気に入っているという。
(デイリースポーツ 古宮正崇)