高橋真梨子 大好きな夫との絆で50周年
芸能生活50周年を迎えた歌手の高橋真梨子(67)が、昭和の名曲を歌ったカバーアルバム「ClaChic2-ヒトハダ℃-」を6月1日に発売する。うつ病などの病を乗り越え、昨年はNHK「紅白歌合戦」に出場。今年9月16日(日本時間17日)には音楽の殿堂・米カーネギーホールで日本人最多となる3度目のコンサートを開催する。精力的な活動は、プロデューサーを務める夫、ヘンリー広瀬(72)との深い絆に支えられている。
「大好き!」。夫への思いを聞くと、高橋はためらいなく口にした。
「24時間一緒だけど、飽きない。ヘンリーさんが1人で仕事に行く日は『早く帰ってこないと、死んじゃうかも』っていうの。『きょうは無理かも』って言われると、玄関に向かって『待てない!』って。ね?」
視線の先では、取材に同席しているヘンリーがほほ笑む。まさにラブラブだ。
1966年に福岡から上京した高橋は、スクールメイツの一員として芸能活動をスタートさせた。同じメンバーに森進一(68)がいた。主な仕事はウェスタンカーニバルのバックダンサー。「やりたいことと違う」と、別のグループをへて故郷に戻り、ライブハウスやジャズ喫茶で歌う日々。旧知だったペドロ梅村に勧誘され、72年、ペドロ&カプリシャスに加わった。
メンバーだったヘンリーと出会ったのはこのころだ。「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」で人気グループとなったが、高橋は78年にグループを脱退。ソロに転身し「for you…」「桃色吐息」などのヒット曲をヘンリーとともに生み出してきた。
活動の窮地に陥ったのは96年頃。更年期障害とうつ病を患った。精神的に不安定になり、食事もとれなくなった高橋を立ち直らせたのが、夫の献身的なケアだった。2011年に再発し「今も体調は波がある。ヘンリーさんのご飯をつくってあげれないのが一番つらい」と高橋は嘆くが、ヘンリーは「かなりよくなった」と否定する。
その証拠が、近年の精力的な活動だ。闘病中も続ける全国ツアーに加え、13、15年はNHK「紅白歌合戦」に出場。13年は紅組トリを飾った。昨年はフジテレビ系「FNS歌謡祭」にも22年ぶりに出演した。
「紅白はカーネギーホールより緊張する。観客席が明るいのが苦手。私のようなババアが出る幕じゃない。若い人に任せたい」
ざっくばらんな言葉とは裏腹に、ぬくもりのある歌声で、視聴者のハートをしっかりキャッチする。新作のカバー集につけられた副題「ヒトハダ℃=人肌温度」がピッタリだ。
「“ぬる燗”って感じ?前作は『大人の子守歌』というイメージだったので、今回は声を張っても叫んでもいい“何でもあり”。あまりカバーされていない曲を扱うことで、色んな世代の人に昭和の名曲を知ってもらいたかった」
9月には日本人最多3度目のカーネギーホール公演を控える。初公演の93年はヘンリーとの結婚、08年はソロデビュー30周年と節目ごとに“音楽の殿堂”に歌声を響かせた。
「意気込み?ない。日本でやるコンサートをそのまま持って行く」と照れ隠しをする高橋に代わって、ヘンリーが「他のホールとは空気が全然違う。元気なうちに行きたいねと話していた」と補足した。
あと3年に迫る古希の目標を聞くと、「76歳のヘンリーさんに介護してもらうのが目標。私が介護するんじゃなくて、介護してもらうの」。音楽的な話を聞くつもりが、最後までノロケで締めくくられた。