【神田正輝コラム 】68時出しの時代
【ナンダカンダで40年】僕が一番働いた時は「68時出し」っていうのがありましたよ。朝の6時に現場に入り、翌朝8時に現場を出る。そしてまた、一睡もしないで次の仕事に行くということです。そういうのが平気にあった。27時とか28時とか普通の時間でした。
24時間スケジュールがあって、朝5時半に大磯の海岸に集合ってなると、夜中に大磯のモーテルとかホテルに電話しといて、風呂入って、ちょっと横になって現場。会社の人は2人が交代で運転して車の中で寝て。それでも2人とも倒れたかな。僕は気が張ってるから倒れないだけで。ビデオじゃなくて、フィルムの時代だから、今の撮影の3倍くらいかかるんですよ。フィルムもしょっちゅう変えなきゃいけないし。
ビデオだと4、5日で1本撮れるのが、フィルムは2週間で1本。ビデオの時代になって、ずいぶん楽になったけど、僕が古いせいか、ビデオは奥までピントが合っちゃうから、あまり面白くないかな。青春物とかコメディーとか軽いタッチのものはいいけど、ドラマ性のある深いものだと奥まで見え過ぎて深度がないというか。
フィルムからビデオに変わる時代、僕が最初にやったビデオ撮影のドラマが日本テレビ系の「ちょっとマイウェイ」(1979年10月~80年3月放送)。桃井かおりさん、研ナオコさん、八千草薫さん、緒形拳さん、岸本加世子さんらが出ていて、僕は信用金庫の職員役でした。「ひまわり亭」というレストランが舞台の話です。
全部スタジオを使ってロケもないから、これは楽だなと思った。撮影が終わるのはほとんど夜中で拘束時間は長いけど、動かなくていいし、衣装も部屋で着替えたらそのままスタジオに行けばいい。
日テレでは、その前に「青春ド真中!」とか「ゆうひが丘の総理大臣」があって、「ちょっと~」にも出ていた秋野太作さんも一緒でした。津坂匡章から名前を変えた頃です。「ゆうひが丘-」には悠木千帆から名前を変えられた樹木希林さん、元水泳選手の木原光知子さんとかいろんな人が出ていました。主演のマサトシ(中村雅俊)は僕より若いけど年上の設定。(松田)優作もそうだったけど、彼らは若い時に大人びて見えましたね。