黒柳 60年来の親友・永さんと「結婚話」あったと告白…「最後の一撃」と悲痛
テレビの黎明期から活躍し、ラジオパーソナリティとして、また「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど、多方面で活躍したタレントの永六輔さんが7日、83歳で亡くなった。浅草出身。永さんは、長年パーキンソン病を患っていた。60年来の親友である黒柳徹子(82)が11日、テレビ朝日を通じて追悼コメントを発表。「このごろお友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です」と悲しみにうちひしがれている心境を吐露した。
また、書面の中で、昌子夫人が14年半前に亡くなった後、黒柳と結婚の話が持ち上がっていたという秘話も明かされた。黒柳は「(永さんが)一人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと、わかっていました」とつづっている。
亡くなる3日前と4日前にはお見舞いに行ったといい、「話しはできなかったけど、私が『永さん!』というと、必ず目を開けて私を見て、声を出して笑いました」と最後の対面を振り返った。
そして、「永さん、永いこといいお友達でいてくださってありがとう。アフリカなんかで『上を向いて歩こう』を聞くと、きっと空を向いて涙がこぼれないようにすると思う。昌子さんによろしく」と追悼文は永さんに呼び掛けるように結ばれている。
永さんは46年パーソナリティを務めていたTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」を背中痛のため2月に休養。復帰を目指したものの、6月27日をもって、降板が決まったばかりだった。最終回は体調不良の永さんに代わり、次女でフリーアナの永麻理が代理出演したが、黒柳はスタジオに駆けつけ「永さん!ごくろうさまでした!」とラジオの向こうの永さんに叫んでいた。黒柳は追悼文の中で「私がよびかけると、目を開けて笑ったりしていたそうです」とつづった。
永さんは黒柳が司会を務めるテレビ朝日系「徹子の部屋」には今年2月、大橋巨泉とともに出演していた。