黒柳徹子 親友・永さんの死にショックも「涙がこぼれないように」【追悼文全文】

黒柳徹子のコメント
永六輔さんを偲んだ黒柳徹子
15年2月3日「徹子の部屋」より
3枚

 テレビの黎明期から活躍し、ラジオパーソナリティとして、また「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど、多方面で活躍したタレントの永六輔さんが7日、83歳で亡くなった。浅草出身。永さんは、長年パーキンソン病を患っていた。60年来の親友である黒柳徹子(82)が11日、テレビ朝日を通じて追悼コメントを発表。「このごろお友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です」と悲しみにうちひしがれている心境を吐露した。

 【以下追悼コメント全文】

 永六輔さんとは、六十年以上のお友達になります。

 その間、一回もケンカをしたことありません。

 「午後のおしゃべり」、「夢であいましょう」ではじめて会いました。「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」など、八大さん(※故・中村八大さん、『上を向いて歩こう』などの作曲者)と作った名曲の頃、毎日、渥美清さん、坂本九ちゃん、演出の末盛さん(※NHKの演出家、故人)とみんなで集まって、面白いことを話しあっては、笑っていました。

 永さんが八大さんと世界中の日本人学校を訪問してるときは、一行ですべてがわかる絵葉書をくださいました。日本の中を旅したのは、自分で見たり聞いたりしたことを、全国まわって、ラジオで伝えたかったからです。テレビより、最後までラジオが好きでした。

 六月二十七日、足かけ四十年以上続いた永さんのラジオ番組が終わりました。私も終わりの方にかけつけて「永さん!ごくろうさまでした!」と叫びました。私がよびかけると、目を開けて笑ったりしていたそうです。

 奧さんの昌子さんが亡くなって十四年半、よく一人で頑張りました。旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。一人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、お互いに昌子さんようにはいかないと、わかっていました。「ゆめ風基金」という障害をもった方達へのボランティアにも、すごく力を入れていました。お葬式は、実家の浅草のお寺です。

 亡くなる三日前と、四日前にお見舞いに行きました。話はできなかったけど、私が「永さん!」というと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました。

 このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。

 でも生きているもののつとめとして、当分、仕事、つづけます。永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。アフリカなんかで「上を向いて歩こう」を聞くと、きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う。昌子さんによろしく。

      黒柳徹子

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