島田洋七 たけしに命を救われた 漫才ブーム去り副業失敗、死がよぎった時に
1980年代の漫才ブームを引っ張ったB&Bの島田洋七(66)が18日、テレビ朝日系の「しくじり先生 頂点を極めたのに大失敗SP」に出演し、漫才ブームが終わった後、仕事が無くなって「死」がよぎったことを明かした。その時に救ってくれたのがビートたけし(69)だったという。洋七は「すごい感謝している」と語った。その後、著書「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒットした。
漫才ブームが終わり、それでもたけしや島田紳助さんが活躍する中、自身はブームに終焉と同じく仕事が無くなったことを振り返った。洋七は「なぜ差が生まれたのか」と自身に問いかけ、「ブームの次の展開を考えていなかった」と分析した。
洋七はサイドビジネスに手を出したがことごとく失敗。「もう生きていてもしかたない」と睡眠薬の服用を考えるようになった。「たけしはガンガン仕事するのにオレにはすることがない」と自己嫌悪に陥り、不眠症になった。睡眠薬を手に「これ飲んだら楽やな」「何も考えんでええ」と思い巡った。洋七は「ばあちゃんから人生を人と比べるなと言われたのに比べてしまった」と悔いた。
ついに睡眠薬を飲もうとした時、突然電話がかかってきたという。まだ携帯電話がない時代だった。受話器を取るとたけしだった。「今から飲みに行くぞ。降りてこい」とたけし。洋七が「雨だから行きたくない」と断ると、たけしは「下で待ってるから降りてこい」と六本木に連れて行かれた。
たけしが「元気ねえな」と言うと。洋七は「そんなことない」と強がったが、「なんか分かってたみたい」と振り返った。
洋七が「芸能界やめて広島に帰ろうかな」とこぼすと、たけしは「芸能界やめたら友達やめるぜ」と言い、「芸人だから友達だろ。くだらんことしてきただろう。俺ら。田舎に帰って真面目な仕事する真面目なお前とオレはどう付き合うんだ」と諭すように告げたという。
たけしは「明日からオレのメシ作ってよ」と言い、洋七はたけし軍団のぶんまで作るようになった。あるとき、軍団のメンバーの話し声が聞こえた。「殿が相当心配してたな」というものだった。「洋七から目を離すなよ」とも言っていたそうで、洋七が変な気を起こすことを警戒して側に置いておこうとしたという。
洋七は「それでメシ作ってよって。あいつは上から目線で言う人間じゃない。料理作りながらめっちゃ泣いた。たけしは何も言わんもん」と涙目になった。