内山信二 10歳で月収3000万円 父親が軽トラックで出かけベンツで帰宅
タレントの内山信二(35)が21日深夜に放送されたMBS系「痛快!明石家電視台」(月曜後11・58)に出演し、子役時代の最高月収が3000万円だったことを明かした。鮮魚店を営んでいた父親が使いまくり、軽トラックで出かけてベンツで帰ってきたこともあったという。
番組では子役をへて大人になったタレントたちが集まり、「子役時代のオイシイ思い」について話し合った。内山はMCの明石家さんまとフジテレビ系「あっぱれさんま大先生」で共演して大人気を得ただけに、さんまから「内山はあったやろ」と指名された。
内山は「そうですね」と認め、「僕は子役の中でもバラエティーチームだったので、子供の時に営業が入っていたんです」と明かした。営業の内容は「内山君とソフトクリームを食べよう」とか、「内山君のおにぎりコンテスト」などというものだった。内山がまだ10歳前後だったので難しいコメントを発することも求められず、ただなめて「おいしい」と言うだけで多額のお金がもらえたという。
内山は営業を毎週土日、1ステージ15分のものを2~3ステージこなし、「ものすごいお金をもらっていました」と振り返った。
当時の収入について知っていたのかと聞かれ、内山は「目の前でもらっていたので知ってます」と返答。最初に所属した事務所が現金手渡しだったそうで、毎月25日に事務所がある東京・新宿に取りに行くことが決まっていたという。内山は「お父さんも行くんですけど僕が数えて確定申告しなきゃいけかった。だからいくら稼いでいたかは知ってます。最高月収で3000万円です」と明かした。
聞いていた雨上がり決死隊の宮迫も蛍原も口をあけてびっくり。「10歳で?月収で?」などと驚いた。
内山は「その時はCMも13本くらいやってたんで」と高収入だった背景を説明。1万円札を「3000枚数えました」と札束を数えるしぐさをした。父親がかなりの額を使ったそうで、内山は「お父さんは『下町の勝新』と呼ばれてたんで」と豪遊伝説が残る俳優の故勝新太郎さんをあげて例えた。
内山は「飲めや歌えの。相当金ばらまいてたんで」とも話し、「実家、魚屋だったじゃないですか。軽トラで出ていったなと思ったらベンツで帰って来ました」とエピソードを披露した。