成宮 14歳で母と死別、6歳下の弟を養うため中学行かずに働いた苦労人
俳優・成宮寛貴(34)が9日、芸能界引退を電撃発表した。成宮は6歳下の弟を養うため中学から働き、芸能界に入った苦労人でもある。
成宮は昨年7月、TBS系「A‐studio」に出演した際、6歳下の弟を大学に行かせるため、14歳のころから学校に行かず、働いていたことを明かしていた。
母子家庭で育った。14歳の時に母が亡くなり、弟と二人きりに。当時、弟は小学2年生。成宮は引っ越し業者でアルバイトをしながら懸命に弟を養った。「中学1年ぐらいまでしか(学校には)行ってなかった。すぐ働きに出ちゃったから」と振り返る。
「どうやったら大学出た人(大卒の人)のお給料を超えて、弟を支えていけるんだろう」と考え、たまたま受けたというオーディションで芸能界入り。17歳に舞台でデビューした。
中学もろくに行けず、学歴社会を身にしみて痛感。弟には、自ら働いたお金で大学に行かせた。当初、偏差値の低い大学に合格していたが、「お願いだから東大に行ってくれ」と1年間浪人させ、弟は東大ではなかったが、見事、名門の東京理科大に合格した。
母が亡くなり、幼い弟と二人、ダンボール箱をテーブルに、裸電球の生活が始まった。弟によると、裸電球はシャンデリアに、テレビはホームシアターに、変わっていったという。
番組では、弟からの手紙をMCの笑福亭鶴瓶が涙をこらえ、時折声を震わせながら代読。母親の葬儀で、泣いてばかりだった弟に「最後ぐらい我慢しろ。お母さんは心配で休めないぞ。これからは二人で頑張ろう」と涙をため、手を強く握りながら言っていたことが明かされた。
弟は「父のように母のように厳しくも優しく、育ててくれ、私は進んでこれたのだと思います。兄が当たり前のように自分の青春に変えてまで弟を育ててくれたことに感謝してもしきれません」と手紙で兄にあふれる感謝の思いをつづっていた。
成宮は鶴瓶が手紙を読み終えると、「ぼくはアイツのおかげで強くなれた」と語った。