「アメトーーク!」生みの親 加地倫三氏
1959年の開局以来の好景気に沸くテレビ朝日。強烈な個性で高い人気を誇る長寿番組「ロンドンハーツ」「アメトーーク!」の演出・プロデュースを手がけるのが、加地倫三氏(44)だ。バラエティー王国フジテレビの牙城を崩し、テレ朝快進撃のけん引役ともいわれる。その番組作りは、テレビ業界だけでなく、不況にあえぐ中でどうやってヒットを生み出すのか、どう生き抜くのかなど、現代を生きるサラリーマンにもためになるヒントがちりばめられている。
‐「アメトーーク!」(※以下アメ)はどういう番組を作ろうとして始まったのですか
「もともとは、女優さんが出る普通のトーク番組にしたかったんです。ぼくがただ、女優さんとかアイドルと仕事をしたかった、っていう、よこしまな気持ちで(笑)」
‐それがいつのまにか芸人だらけの番組に
「結局、それまでお笑いの番組しかやってなかったんで、(女優さんの)生かし方が分からず、面白い方、面白い方へと行ったら、♯10(※10回目の放送)で江頭(2:50)さんにスーツを着せて、座らせて、1人でトークしてもらうことに(笑)」
‐始めたころの注目度は
「全然。4、5年たってから、07年、08年ぐらいですかね、なんとなく話題になったのは。基本的に細々と、息長くやりたいんです。注目されると、今度は落ちるだけ。ハードル上がるし、アンチも増えてきちゃう。『アメトーーク!なんか見てんのダッセー』って(笑)。だから、ハードル上げないで見て欲しい」
‐深夜枠では異例の高視聴率です
「一時期、ピークよりは下がってますよ。すごい時は毎週14%とかとってましたから。視聴率は気にしてなかったです、つい最近まで(笑)。最近、裏番組に負けたんですよ。それが『アメトーーク!が負けた』って、ネットニュースでもいじられて。で、ネットを一つ一つ見ていくと、胃が痛くなってきて。あれ?おれ意外と気にしいなんだな、と(笑)。1週間ぐらい傷ついてました」
‐視聴率は気にしない方がいいですか
「絶対気にしない方がいい!視聴率にとらわれて番組作ったら、やっぱりブレますよね。勇気を持ってチャレンジできなくなってしまう。気にしない方がいい結果がついてくる」
‐アメは今年10年。もうダメだと思ったことはありますか
「ぼくの中では、2年前。このままいくと、2~3年で終わっちゃうぞ、と」
‐すごいブームになってたころですよね
「3、4週、ドカンとくるような感覚がなくて、その時に、アレ?このままいったらやばい、手を打っとかないと、と思って、会議開きました。その時の最終的な答えは、『初心に帰ろう』。アメトーークはエピソードトークが面白いから、きちんとトークに特化しよう、と。それから、細かい打ち合わせとかして、作ったら、ちゃんと返ってきたんですよ、ちょっと前に面白いと思った時の感覚が」
‐いい時こそ、先を読んで新たなことに挑戦する、と
「余裕がある時に、新しいことを考えていく。脳ミソも、余裕があるので、いろんなことを思いつくんです。ダメな時って『もしこれやって数字ダメだったらどうしよう』とか、余計なことを考え過ぎちゃうんですね。そうすると判断がブレる」
‐新聞でも同じだと思うんですが、エッと思わせるような面白いものを作らないと、ですね
「ぼく、全員に80点の番組作りたくないんですよね。『超おもしろかった!』と『超つまんなかった!』でいい。『嫌い』『不愉快』でいい。そういうふうに対極があって、平均点が80点とかがいいんです」
‐ロンハーがその典型で、好き嫌いがはっきりしています
「そうです。企画が違えば好き嫌いがあって、当然じゃないですか。それを万人に受けようとすると、とがった部分をそぎ落とすことになる」
‐若年層はテレビを見ない人が増えていますが
「昔は家に帰ったらテレビがついてたけど、今は、テレビをつけさせなきゃいけない。ヘタしたら、テレビを買わせるまでしなきゃいけない。だとしたら魅力的なものを出さないと。どこかに刺さってる番組とか、ものすごく数字悪いけど、すごい熱狂的なファンがいるという番組は残しておかないと」
◆「超がつくテレビっ子」だった。大好きだったのは「オレたちひょうきん族」と、とんねるず。大学時代もお笑い大好き。休みの日に、まとめて撮ったビデオを見るのが至福の時だったという。
‐テレビ朝日に入ったのは
「たまたまです。ほかは落ちて。フジテレビに入りたかったんですけど(笑)。フジテレビに行ってたら、こんなふうになっていなかったかもしれない。バラエティー作らせてもらえなかったかもしれないし」
‐アメのコアな話はどう生まれてくるんですか
「◯◯芸人って何でもできるじゃないですか。だから日常から何かあったらできるかな、って脳ミソになってるんですよ。思いついたことをメモっておいて、1週間に1回の会議でこういうのどうかな?と。例えばロッチのコカド君と話してて『相方(中岡)、マジで結婚したくてしょうがないんですよ』と(具体的な話に)。芸人で、男で、ガチで結婚したがってる人のトークって面白いな、と思って。『結婚したくてしょうがない芸人』が生まれて。結婚したこともないヤツが理想のプロポーズとか、結婚後の生活とかのVTRを作って。そこからまた本格的に構成つけて」
‐けっこう雑談の中から生まれてくるんですね
「そうですね。面白がって出さないと。あと、これは後輩とかにも言うんですけど、企画書募集で出てきた企画書ってあんまり面白くないんですよね。企画書っぽい企画書なんですよ。そうじゃなくて、考えようとしてないときにパッと思いつくのが面白い」
‐常に面白がる脳になってるか、ですね
「そう。雑誌の対談で、村上龍さんと、サイバーエージェントの藤田晋さんとavexの松浦勝人さんが『トップの人間は一瞬のひらめきが大事だ。一瞬のひらめきに理由はない。だけど一瞬のひらめきをするには日頃の鍛錬をするのが大事だ』って言ってたんですよ。なるほど、それだ!って。面白いものを作る上で、ひらめきを超えるものってないのかな、と」
‐予算が少なければどうしますか
「例えば、編集費ない、とか言われたら、『じゃ、生(放送)で作ろう』。テロップ入れられないなら、しゃべる時に動きをつけてみよう、とか。制約という意味では、『あぶら揚げ芸人』も、油揚げだけでどうやって1時間持たせるか色々考えるんですよね。お金がある時に思い付かないことが、ない時に思い付くことがある」
‐今の時代、予算がないと会社でも言われることが多いです
「ぼくは、あんまり予算がないと思ったことがない。最悪赤字出せばいい、と(笑)。ドラマだと違うんでしょうけど、ぼくらはお金がないことも笑いにできる。作り込まないほうがいい場合もありますし」
‐今の仕事以外にやってみたいことは?
「できないですけど、才能があったら…バリバリの恋愛ドラマを作りたい。好きなんですよね、キュンキュンするのが(笑)」
‐アメは何年ぐらい続くと思いますか
「10年きたんで、まず15年はやって。目標は『タモリ倶楽部』。内容じゃなくて、息長くというスタンスで。最初のころ、雨(上がり決死隊)が『タモリ倶楽部みたいに息長い番組にできたらいいな』って言ってたんです。『タモリ倶楽部』より先に終わりたくないですね」
加地倫三(かぢ・りんぞう)1969年3月13日生まれ。神奈川県出身。上智大学卒業後の92年にテレビ朝日に入社し、スポーツ局に配属。96年に異動し、「ナイナイナ」「リングの魂」を担当。現在は「アメトーーク!」「ロンドンハーツ」の演出・プロデューサーを担当。最近では「結婚できない司会者SP」などの単発番組も演出。12年12月、著書「たくらむ技術」(新潮社)を出版。