市川團十郎さん急死 歌舞伎の大名跡

 歌舞伎俳優の市川團十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名堀越夏雄=ほりこし・なつお)さんが3日午後9時59分、肺炎のため都内の病院で死去した。66歳。東京都出身。

 昨年12月の京都・南座公演途中からかぜによる体調不良を理由に休演、今年に入り肺炎の兆候があるとして、4月に再開場する歌舞伎座での復帰に向け治療に専念していた。昨年12月の中村勘三郎さんの悲報に続く歌舞伎界のスターの死に、衝撃が走っている。きょう5日に通夜、6日に葬儀が密葬の形で営まれる。本葬は今月末に行われる予定。

 4月2日の歌舞伎座再開場まであと2カ月弱。晴れ舞台での復帰を夢に病と闘っていた歌舞伎界の宝が、また1人旅立ってしまった。

 團十郎さんは、昨年12月18日から京都・南座の「吉例顔見世興行」(11月30日~12月26日)を風邪による体調不良で休演。肺炎の兆候があるとして入院し、1月の新橋演舞場降板と3月の主演舞台「オセロー」の公演中止を発表していた。

 長男の海老蔵によると容体は1月19日に悪化、眠った状態で体内に酸素を送り込む治療が施されていたという。その後は比較的安定を保っていたが、今月3日に急変。最期は妻・希実子さんや海老蔵ら家族に見守られながら静かに息をひきとった。

 歌舞伎を代表する大名跡にふさわしい、スケールの大きな俳優だった。7歳で初舞台。58年に六代目市川新之助を襲名した。19歳という若さで父・十一代目團十郎を失うも叔父の二代目尾上松緑さんらに師事して修業を重ね、85年には十二代目市川團十郎を襲名。異例の歌舞伎座3カ月公演や襲名披露としては初のアメリカ公演などで歌舞伎の人気を押し上げた。

 「勧進帳」の弁慶や「助六」などで見せた骨太で明るく華のある芸風で親しまれた。荒事では右に出る者はいなかった。また、お家芸の「歌舞伎十八番」の継承にも尽力した。プライベートでは歌舞伎界随一の天文マニア。幼いころから星を見て、大きな夢を抱いた。誰にでも隔てなく接するおおらかな人柄は、誰からも親しまれた。

 演技への精進の一方では、大病と闘う壮絶な人生だった。04年5月に急性前骨髄球性白血病と診断され、同年10月の海老蔵襲名披露パリ公演で復帰するも、翌年8月には再発の疑いが生じ再入院。06年5月の復帰会見ではその闘病を自ら「無間地獄」と表現した。その後も輸血に頼りながら舞台を務め、08年には白血球の型が一致する妹・市川紅梅の骨髄を移植し、回復した。

 1月には「今後は、4月に開場する歌舞伎座の出演に向けて、治療に専念いたす所存でございます」とコメントしていた團十郎さん。歌舞伎座のこけら落とし公演では「鶴寿千歳」に出演するのを楽しみにしていたが、その夢はかなわなかった‐。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

おくやみバックナンバー最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(おくやみバックナンバー)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス