作詞家の岩谷時子さん死去…97歳
「愛の讃歌」「君といつまでも」など多くのヒット曲を手掛けた作詞家・訳詞家で文化功労者の岩谷時子(いわたに・ときこ=本名・トキ子)さんが25日午後3時10分、肺炎のため都内の病院で死去していたことが28日、分かった。97歳。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開くという。死去の報を受け、加山雄三(76)ら生前親交のあった多くの芸能人が、岩谷さんを悼んだ。
岩谷さんはここ数年、体調が思わしくなく、今年4月4日、岩谷時子賞の授賞式に車いす姿で登場したのが最後の公の場だった。
兵庫県で育ち、1939年に宝塚歌劇団に就職。越路吹雪さんと出会い、越路さんが退団後、共に上京。マネジャーを務め、国民的大スターを公私で支え続けた。自ら「同志愛」といい、越路さんの死まで30年以上も続いた関係は何度もテレビドラマ化された。
そんな中で生まれたのが名曲「愛の讃歌」。仏歌手エディット・ピアフの歌に岩谷さんが日本語詞をつけたもので、越路さんの日記などをモチーフに仕上げた。これをきっかけに訳詞家、作詞家としても活動した。作詞家としては、当時の主流だった七五調から、会話を思わせる言葉を並べた詞で新風を吹き込み、流行歌の世界に大きな影響を与えた。
また、「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」など海外ミュージカルの訳詞も担当し、日本の演劇界の発展にも大きく寄与した。
岩谷さんを知る関係者は「優しい方。いつも温厚で怒ったところを一度も見たことがない。そんな人柄が詞に表れていた。男女の関係を描くにも、ギラギラしたものでなく、どこか温かみがあった」と振り返った。
2009年には音楽界・演劇界の発展に寄与した人物、団体などを表彰する岩谷時子賞を創設。後進の育成にも目を向けていた。来月1日には歌手・小林幸子が横浜で開く岩谷作品を歌うライブに、体調が良ければ出席する予定だった。最後まで、夢と希望を送り出す心を持ち続けた。