三島敏夫さん死去「特攻隊」で生き残る
ハワイアン歌謡の礎を築き「和田弘とマヒナスターズ」などでも活躍した歌手・三島敏夫さんが17日午後7時54分、低酸素血症のため京都府内の病院で死去したことが18日、分かった。87歳だった。葬儀・告別式は、近親者のみで営まれる。
三島さんは、1926年11月10日、サイパン島で生まれ、その後都内に転居した。そのころにウクレレを始めた。第二次世界大戦中の43年には、母の勧めで甲種飛行予科練へ志願入隊。震洋特攻隊員として台湾で待機していたが、出撃を待たずに敗戦を迎えた。
復員後は、バンド活動を行いハワイアンボーカルとして活動。56年に「和田弘とマヒナスターズ」にボーカルとして参加し、日本のハワイアン歌謡ブームを築き上げた。
その後は1960年にソロデビュー。「俺はお前に弱いんだ」「面影」「人妻椿」などがヒットし、昭和歌謡を代表する1人として活躍した。
02年ごろからパーキンソン病を患い、自宅のある京都府内で闘病生活を続けていたが、今年に入ってからは精力的に活動。1月には自身のヒット曲40曲をまとめた「三島敏夫大全集」を発売した。5月8日には、神奈川県内でテレビ東京系「木曜8時のコンサート」(7月3日放送)の収録に参加したが、これが最後の仕事となってしまった。