さよなら李香蘭…山口淑子さん死去
戦前には李香蘭(り・こうらん)の名前で女優、歌手として活躍し、戦後には参議院議員も務めた山口淑子(やまぐち・よしこ、本名大鷹淑子=おおたか・よしこ)さんが、7日午前10時42分、心不全のために都内の自宅で死去していたことが、14日分かった。94歳。旧満州(中国東北部)に生まれ、日中2つの“祖国”の戦争を経験。平和への思いから、晩年は国際平和のために尽力した。葬儀・告別式は親族で行った。
日中両国で絶大な人気を誇ったスター・李香蘭さんが世を去った。山口さんは1920年に中国で生まれ、旧満州で育った。日本語も中国語も堪能であったため、38年に満州映画協会(満映)から日本人であることを伏せて映画デビューした。
当時の日本のスター・長谷川一夫さんと共演した映画「白蘭の歌」や「支那の夜」(40年)などが日本で大ヒット。「支那-」の主題歌「蘇州夜曲」も人気を博し、41年に東京・日劇で開催したコンサートではファンが会場の周りを幾重にも取り巻くほどだった。
しかし、山口さんは晩年、映画が中国人にとって屈辱的な内容だったことから、出演を悔やんでいたという。
中国本土でも映画「萬世流芳」(43年)や、同時期に発売した楽曲「夜来香」がヒットしたが、終戦時には日本に協力した罪で軍事裁判にかけられた。日本国籍であることが証明され、無罪となったが、中国からは追われるように帰国した。
帰国後は本名の山口淑子で芸能活動を再開し、映画「暁の脱走」(50年)や黒澤明監督作品「醜聞(スキャンダル)」(50年)などが高く評価された。その後、アメリカでミュージカルにも出演。現地で知り合った彫刻家のイサム・ノグチさんと51年に結婚したが、56年に離婚。58年に日本人外交官の大鷹弘さんと再婚し引退したが、69年にフジテレビのワイドショー「3時のあなた」のキャスターとして復帰した。
74年には参院選に当選し、環境政務次官などを歴任。2つの“祖国”の間でほんろうされた経験から、反戦への思いは強く、中東和平やいわゆる従軍慰安婦問題に取り組み「女性のためのアジア平和国民基金」設立にも尽力した。
87年出版の自伝「李 香蘭 私の半生」はベストセラーになり、劇団四季のミュージカルやテレビドラマ化され、波乱の人生が注目された。