落語家・桂米朝さん肺炎で死去…89歳
上方落語の大御所で、落語家として初めて文化勲章を受けた人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため入院先の病院で死去した。かねて病気療養していた。89歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。通夜は24日午後6時から、葬儀・告別式は25日午前11時から大阪府吹田市桃山台5の3の10、千里会館で。喪主は長男の五代目米團治(よねだんじ、本名中川明=なかがわ・あきら)。葬儀委員長は米朝事務所の田中秀武(たなか・ひでたけ)会長。
戦後上方文化の巨人が逝った。
米朝さんは2004年以降、転倒などによる骨折で4度、09年には軽い脳梗塞を患い2度、入院した。それでも復帰するたびに元気な姿をみせていたが、13年夏に肺炎で入院してからは唯一レギュラー出演していたラジオ番組も終了した。
最後の舞台出演は13年1月2日、大阪市内で開かれた「米朝一門会」。米朝さんは「どない言うたらいいか分からん。いっぱいお客さんに来ていただいて。それだけで胸がいっぱい」とあふれる涙を手でぬぐっていた。
退院後は自宅療養を続け、14年1月の米朝一門会では、楽屋を訪れ年頭のあいさつ。6月27日には56年連れ添った妻で元女優の中川絹子さん(享年88)を亡くし、葬儀に車いすで参列した。
今年1月2日、大阪市内で開かれた一門会は欠席。米團治は米朝さんが高齢のため昨年末から入院し、「かなり高齢で口数も少なくなっています」と近況を報告していた。関係者によれば、最近は「病院に出たり入ったり」していたという。
米朝さんは1947年に四代目桂米團治に入門、三代目桂米朝を名乗った。古典を現代の目で洗い直し、演じられなくなっていた上方落語の古い演目を発掘。端正で明快な語り口で、「たちぎれ線香」「百年目」などを得意とした。故六代目笑福亭松鶴さん、故五代目桂文枝さん、三代目桂春団治さんと共に「四天王」と呼ばれ、衰退していた上方落語を再興させた。
30代の頃から後進の育成にもあたり、故桂枝雀さん、桂ざこば(67)、桂南光(63)らを育てた。指導は厳しく、ざこばは12年、稽古の際にキセルをカンカンとたたきつけながら怒られ続けたことを明かしている。
96年に故柳家小さんさんに次いで、落語界2人目の人間国宝に認定、09年には落語家初の文化勲章を受けた。
きょう20日、米團治、ざこばらが大阪市内で会見する。