元慶大ラグビー部監督上田昭夫さん急死
ラグビーの元日本代表で、母校の慶大監督として大学日本一に2度導いた上田昭夫さんが23日午前7時39分、代謝性疾患のアミロイドーシスのため、東京都内の自宅で死去した。62歳だった。
現役時代はスクラムハーフとして活躍し、日本代表に選ばれた。慶大卒業後はトヨタ自工(現トヨタ自動車)に入り、日本一を経験。1984年に慶大監督に就任すると2季目に全国大学選手権と日本選手権を制覇。94年に再び監督に就き、2000年(99年度)に大学日本一となった。フジテレビのキャスターとしても活躍した。
ラグビー界の行く末を常に気に掛けていたご意見番の上田さんが、4年後の19年W杯日本大会を目にしないまま帰らぬ人となった。
上田さんは慶大を卒業後、一度は保険会社に入社したが、日本代表に選ばれたことを機にトヨタ自工に転職。身長160センチながら工夫と努力ではい上がった。大学の後輩で日本代表チームディレクターの稲垣純一氏は「とにかく負けず嫌いな人だった」と振り返る。
84年に31歳の若さで慶大監督に就任。85年度は明大と引き分け両校優勝。抽選で進んだ日本選手権では自らの勤務先であるトヨタ自動車を破り、慶大を初の日本一に導いた。
生前「不満をエネルギーに変えるタイプ」と自らを評した。歯に衣(きぬ)着せぬ発言で敵をつくることもあったが、類いまれな実行力で周囲を引き付けた。
創部100周年で大学日本一に導いた99年度はマネジメント能力を発揮。個性重視の入試制度を生かした選手集めに着手し、見込んだ高校生に手紙を送って受験を勧め、現役大学生に指示して受験生の小論文対策をさせた。付属高のラグビー部強化にも力を入れ「みんなが言うほど簡単じゃない」と言いながら使命を果たした。
35歳でフジテレビへ転職。政治部記者として政界の重鎮とも人脈をつなぎ、キャスターにもチャレンジするなど、独特の人脈をつくった。12年10月に定年退職した。
近年はテレビ神奈川のラグビー中継で解説を務め、女子チームのTKM創部に尽力。秩父宮ラグビー場での場内FMでは初心者にも分かりやすい解説で人気を集めた。今年2月の日本選手権2回戦が最後の解説となってしまった。
最近は入退院を繰り返し、知人が顔を合わせようとすると「まだ酒は飲めないんだ」と弱い姿を見せようとはしなかったという。