阿藤快さん急死 脇で光った個性派俳優
個性的な脇役として活躍し、グルメ番組のリポーターとしても親しまれた俳優の阿藤快(あとう・かい、本名・公一=こういち)さんが東京都新宿区の自宅で死去していたことが16日、分かった。14日が69歳の誕生日だった。
15日にベッドで亡くなっているところを発見された。死因は大動脈破裂胸腔内出血。遺体は出身地で実家のある神奈川県小田原市の葬儀場に運ばれ、21日に同所で密葬が営まれる。
「なんだかなぁ」のほのぼのとしたセリフと、飾らない人柄で親しまれた名脇役が天国へと旅立った。
所属事務所のスタッフによると、阿藤さんが最後に仕事をしたのは9日。都内のホテルで別れ、13日に電話で話した際も変わった様子はなかったという。
15日午後2時ごろ、予定していた公演先から姿を見せないとの連絡を受け、親族と共に都内の自宅へ向かい、ベッドで横になったまま亡くなっている阿藤さんを発見した。「カーテンも引いて『快さん』と呼びかけたら起きそうなくらいだった。苦しむことなく亡くなられたんだと思います」とスタッフは語った。大きな持病はなく、急死だった。
最近の様子について、同スタッフは「疲れもあって背中が痛いというので気になっていた。『湿布を貼ってくださいね』とお願いすると(阿藤さんは)『8日にマッサージにいったから大丈夫だよ』と言っていたのですが…」と声を落とした。
阿藤さんは大学卒業後、俳優座で美術を担当し、1970年に舞台デビュー。80年に黒澤明監督の映画「影武者」で注目を集め、ドラマ「太陽にほえろ!」「西部警察」などでは、こわもてのビジュアルを生かした犯人役、悪役としても存在感を発揮した。
88年に始まったドラマ「教師びんびん物語」シリーズでは主人公(田原俊彦)の同僚を演じ、お茶の間の人気者に。最近では「下町ロケット」にゲスト出演していた。近年はグルメや「遠くへ行きたい」など旅番組のリポーターとしても活躍。親しみやすいキャラクターで人気を得た。
2001年に「阿藤快」に改名するまで使っていた「海」の文字は、生まれ育った神奈川・小田原の自宅前に広がる相模湾にちなんでいたという。「小田原ふるさと大使」や「小田原映画祭」の実行委員長も務めるなど、故郷への思い入れは強かったようだ。