名手藤田、電撃引退 通算1918勝
歴代8位、現役5位のJRA通算1918勝(うちG1・17勝)の実績を誇るダービージョッキー・藤田伸二騎手(43)=栗東・フリー=が、騎手免許の取消願いを提出したことを6日、JRAが発表。記録にも記憶にも残る個性派の名手が、電撃引退することになった。
出身地である北海道での今夏の開催が終わり、名手が静かにムチを置いた。藤田が、ラストライドとなった6日の札幌7R(イキオイ10着)終了後に騎手免許の取消願いを提出。5日の札幌2R・ジョルジュサンクが騎手生活で最後の勝利となった。引退の理由は明らかにされていないが、かねて不満をもらしていた、エージェント制度などのJRAの現行システムが主な原因とみられる。
以前から「引退式はしない」と語っていた通りの、突然のリタイア。競馬界を去る姿もまた、極めて個性的だった。
91年にデビューし、39勝を挙げてJRA賞・最多勝利新人騎手を獲得。翌92年のエリザベス女王杯(タケノベルベット)でG1初勝利を飾り、96年には弱冠24歳でフサイチコンコルドを駆ってダービー制覇を達成した。その後も勝利を積み重ね、JRA通算1918勝は歴代8位、現役では武豊、横山典、蛯名、柴田善に次ぐ5位。G1・17勝を含む重賞93勝も歴代5位の記録となる。
フェアなレースにこだわり続けたことでも知られる。04年には史上最年少で特別模範騎手賞(東西いずれかで勝利数、獲得賞金、勝率の各部門のなかで5位に入り、かつ制裁が0点の騎手)を受賞し、10年には史上初となる2度目の同賞に輝いた。「藤田が(フルゲートの)18人で競馬をすれば審議なんてなくなる」と豪語するように、97年から07年まで11年間、走行妨害による騎乗停止はゼロ。フェアプレー賞は史上最多の19回を数えた。
“男”の愛称で親しまれ、個性派騎手だったことからファンも多く、テレビ番組への出演のほか、多くの著書も執筆。本紙でも10年から『よろしいやん』、『藤田伸二の男のコラム』を連載した。騎乗馬のジャッジ以外にも「言いたいことを言う」という姿勢を貫きJRAへの提言など歯に衣を着せぬ発言、発信力で注目を集めた。
今後はイベントなどを通じてファンと交流を行う予定。