2009/06/28 戸田競艇
▼SG・グランドC決定戦 戸田競艇12R優勝戦 | |||||
着順 | 連番 | 選手名 | 住所 | 進入 | ST |
1着 | C | 今垣光太郎 | 石川 | 4 | 15 |
2着 | @ | 服部幸男 | 静岡 | 1 | 16 |
3着 | D | 平石和男 | 埼玉 | 5 | 20 |
4着 | A | 寺田祥 | 山口 | 2 | 19 |
5着 | E | 菊地孝平 | 静岡 | 6 | 17 |
6着 | B | 松井繁 | 大阪 | 3 | 18 |
今年のビッグレース第3弾「SG第19回グランドチャンピオン決定戦」は28日、戸田競艇の最終日12Rで優勝戦が行われ、4カドから一気に伸びた今垣光太郎(39)=石川・63期・A1=がまくりで快勝。08年の若松MB記念以来、10カ月ぶり7度目のSG戴冠を飾り、優勝賞金4000万円を獲得した。イン立て直した服部幸男が2着、2周1Mツケマイで寺田祥を捕らえた地元の平石和男が3着に入った。
SG7回目の優勝を飾り、プロレスラーの蝶野正洋(左)とポーズをとる今垣光太郎
何度も右手を突き上げて、今垣は喜びを爆発させた。「もう放心状態ですね」。スリットから豪快に伸びて内3艇をのみ込む快勝。降りしきる雨の中で余韻にひたった。
今年のSGは総理大臣杯、笹川賞と2度続けて準優勝戦を勝ちながら、賞典除外処分を受けて優出を逃した。だが家族やプロペラ仲間などが自分以上に悔しがったことで、逆に冷静さの大切さが身にしみたという。「僕の方がなだめることもあったくらいですからね。冷静さを失ってやってしまったこと。だから今回は平常心をずっと心がけていきました」。ヘルメットに書いた“平常心”の文字を何度も見返し、自分に言い聞かせた。
今回が戸田での初優勝で、23場で優勝したことになる。残すのは尼崎ただ1つ。「いつかは勝ちたいです。ダービー(10月7〜12日)で?そんなぜいたくは言いませんけどね」と笑った今垣が見据えるのは、次のSGオーシャンC(7月21〜26日・若松)。「もう今回の伸び型ペラは使えませんからね」。支えてくれた仲間とのプロペラ作りに、また熱中することになる。
1周2M
【今垣の会心まくり】
【12R】ピットアウト後は前付けに動く選手はなく、S展示と同じく123・456の枠なり進入。スリットではイン服部と4カドに開いた今垣がややのぞく隊形になり、そこから一気に伸びた今垣が内3艇をたたいて鮮やかにまくり切った。
後続はイン残した服部、2コースから小さく差した寺田祥、まくり差しに入った平石の並走。2Mで寺田の先マイを手堅くさばいた服部が2着。3着争いは2周目にもつれ、1Mツケマイで寺田を抑えた平石が競り勝った。
服部11年半ぶりSG奪取ならず
インで人気を背負った服部幸男だったが、今垣光太郎のこん身のまくりに屈して2着。「自分も出脚、伸びが良かったけど、(4)番(今垣)の方が出てたね。でも2着は取れたし、自分のレースはできたので納得してます」。自身11年半ぶりのSG制覇はならなかったものの、レース後はサバサバとした様子だった。
いい感じで差せたと思ったが、1Mで掛からなかった。ハンドルの入りも甘かったかも。もう少しS行きたかったね。レースには満足してないよ。
S全速で行こうと思ったが、周りの様子を見てしまった。1Mも展開がなくて…。脚は湿気の割に変わってなかった。今節序盤を考えれば上出来。
思ったよりも早く起こしてしまい、Sで遅れてしまった。少しマイ過ぎてたが脚自体は悪くなかったし、次につながる走りはできたと思います。
Sは放ったが、あそこまで出られるほど放ったつもりはない。自分なりにやれるだけのことはやったけど、やはりエンジンパワーの差が出たね。
今垣光太郎(いまがき・こうたろう)1969年9月18日石川県生まれ。39歳。身長161センチ、体重51キロ。血液型はA型。石川県立加賀高校中退。父・武志(36期=引退)の影響で競艇学校63期に入学、卒業。88年11月に三国でデビュー。主なタイトルは総理大臣杯(第34回児島)、競艇王チャレンジカップ(第2回平和島)、グランドチャンピオン決定戦(第12回宮島、第19回戸田)、モーターボート記念(第48回蒲郡、第50回蒲郡、第54回若松)。通算優勝回数69回。生涯獲得賞金額17億1952万7289円。