2009/10/13 尼崎競艇
▼SG・全日本選手権 尼崎競艇12R優勝戦 | |||||
着順 | 連番 | 選手名 | 住所 | 進入 | ST |
1着 | @ | 松井 繁 | 大阪 | @ | 20 |
2着 | C | 白井英治 | 山口 | D | 18 |
3着 | D | 市川哲也 | 広島 | B | 26 |
4着 | B | 井口佳典 | 三重 | E | 19 |
5着 | A | 吉川元浩 | 兵庫 | A | 30 |
6着 | E | 守田俊介 | 京都 | C | 17 |
尼崎競艇のSG「第56回国土交通大臣旗争奪・全日本選手権(通称競艇ダービー)」は13日、最終日を迎え、12Rで優勝戦が争われた。人気を背負った松井繁(39)=大阪・64期・A1=が悲願のダービー初制覇を達成。SG優勝は昨年7月のオーシャンカップ(蒲郡)以来9回目。このVで獲得賞金に4000万円が加算され、池田浩二を抜いてトップに躍り出た。
全日本選手権を制し4000万円を獲得し、賞金トップに立った松井繁
圧倒的な強さだ。まばゆいばかりのオーラを放ち、白カポックの松井が1Mを完全制圧。インから堂々先頭に立つと、後続を引き離して逃げ切り勝ち。13回目の出場にして、ついに“王者”がダービー王の座をつかんだ。
決戦前から自信を持てる舟脚だった。「内から伸び返すぐらいの脚色。Sだけ気をつけて絶対差されないようにと思っていた。完ぺきだったと思う」と自画自賛の最強ターンで栄冠をもぎ取った。
勝たなければならない理由もあった。「あまり家族には言わないんですけどね。今回は初めてオヤジに“頑張って行ってくる”と言って来た」。父の武弘さん(69)は現在、闘病生活を送っている。重い病気を患っていると分かったのが、8月のMB記念の前。そのMB記念の優勝戦、1号艇での敗戦は何よりも悔しかった。松井はその時を振り返り、こらえきれず涙をこぼしながら「オヤジが“ワシのせいで2着になって悪かった”と言って…。全然そんなことはないのに…。だから今回は絶対に勝つつもりで来た…」と明かした。
準地元の尼崎水面への感謝の気持ちも大きかった。「ここで大きくしてもらったと思っている。早くSGが来てほしいと思っていた」と最高の形で恩返し。SG制覇の競艇場は7場目となり、史上最多タイとなった。
優勝賞金4000万円を加算して、今年の獲得賞金は1億3700万円超えで首位に立った。「まだまだこれから。喜びは一瞬のこと」とスピードを緩めることはない。念願のダービーを奪取した“王者”は、年末ラスト決戦まで駆け抜ける。
1周2M
【自画自賛!!最強ターンでSGV9】
スタート展示は12456・3の5対1だったが、本番は井口のピット離れが悪かったせいもあり、1256・43の4対2に。スリットでは2、3コースがへこみ、4コースから守田がトップSでまくって行くが、3コースから市川が伸び返して競る形。ここで守田は圏外へ。そんな外勢をしり目に、インの松井が1M先取りからBSで主導権を握る。白井が差して追走。市川が白井を追うが、白井が冷静なハンドルから振り切って2着。市川3着。
コースは直前に決めたというより、どこでもいいやと思った。Sは思い切り行けなかった。今節はリラックスして走れていいシリーズだったが、準優だけ悔いが残る。
楽な進入になってSをためすぎた。もう少し深く入れば良かったと悔いは残るが、苦しい1Mの隊形からいいレースができたと思う。
欲を出しすぎてペラの失敗。ピット離れがおかしくなっていた。Sも85メートルあたりで放った。1Mも差し場がなくて外マイになった。
本番は起こしでついてこなかった。Sが全て。
進入は理想。松井さんにあのターンをされると厳しい。
松井 繁(まつい・しげる)1969年11月11日生まれ。39歳。身長169センチ。血液型はO型。北陽高校(現在の関西大学北陽高校)卒業。89年5月に住之江で64期としてデビュー。同年7月の住之江で初1着。90年8月、芦屋の新鋭リーグ戦で初優勝。SGは95年10月丸亀の全日本選手権で初優出。96年5月児島で行われた笹川賞で初SG制覇を成し遂げる。SG9回、G142回を含めて優勝は通算93回。愛車はポルシェ。生涯獲得賞金額は26億8233万502円。