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2010/07/19 丸亀ボート
▼SG・オーシャンC まるがめボート12R優勝戦 | |||||
着順 | 連番 | 選手名 | 住所 | 進入 | ST |
1着 | @ | 石野 貴之 | 大阪 | @ | 11 |
2着 | A | 湯川 浩司 | 大阪 | A | 10 |
3着 | C | 今垣光太郎 | 石川 | C | 21 |
4着 | D | 辻 栄蔵 | 広島 | D | 22 |
5着 | E | 浜野谷憲吾 | 東京 | E | 25 |
6着 | B | 萩原 秀人 | 福井 | B | 15 |
「SG・海の日記念第15回オーシャンカップ」は19日、まるがめボート最終日の12Rで優勝戦が行われ、1号艇の石野貴之(28)=大阪・90期・A1=がインから逃げ切り快勝。SG7度目の挑戦で悲願の初制覇を成し遂げ、優勝賞金4000万円と「第56回モーターボート記念」(8月24〜29日・蒲郡)への出走権を獲得した。大村グラチャンからのSG連覇を狙った湯川浩司は2コース差しが届かず2着まで。3着には今垣光太郎が入り、3連単は1番人気で決着。
SG初優勝を決め愛息を抱いて喜ぶ石野貴之(左から2人目)
会心のイン逃げで石野がつかみ取った初のタイトル。「1Mでフタさえされなければ大丈夫だとは思ったけど、最後まで余裕がなかった。もう、メチャクチャうれしいです」。若武者は全身で喜びを爆発させた。
前検日の時点で“優勝”の文字が頭をよぎった。手にしたエンジン5号機に「前検の1周目で、すごいと思った」と抜群の手応え。初日は1走3着だったが「脚で負けることはないと思いました」。3日目に苦手の2コースを2着でクリアし、手応えが徐々に現実味を帯びてくる。そして準優、得点率1位の今垣が2着に敗れて優勝戦1号艇が転がり込み「その時点で100%勝てると思った」と振り返った。
それでも焦りを感じながらの戦いだった。自身は08年の蒲郡オーシャンC以来のSG参戦。その間に、山口剛や岡崎恭裕など後輩がSGタイトルを次々と奪っていった。「やまと卒業生の中で自分が一番先にSGを獲ると思っていたのに、先を越された」。悔しさと焦りの中で迎えた、2年ぶりの大舞台。最高の結果で、存在感を見せつけた。
父・美好氏はSGタイトルを獲ることなく、09年5月に引退。「電話で報告ですね。“オヤジの分までやったった”って」と思いを寄せた。表彰台では、長男の玄都ちゃん(2)を抱きかかえた。息子として、そして父として、最高の姿を見せることができた。
1周2M
【12R優勝戦VTR】
頂上決戦に相応しい向かい風1メートルの静水面。ピット離れはほぼ互角。浜野谷が前付けに動いてコース取りを狙うが、内5艇も緩めず、3対3の枠なりに。スリットではスロー3艇が速い踏み込みになり、イン石野が完璧な先マイで押し切った。2コース差しの湯川が順走し、最内突いて食い下がる今垣を2M回して差し切り2着確保。今垣は3着に敗れた。
今垣納得の3着
優勝戦でただ一人ペラを交換し、4コースのカドから勝負に出た今垣。差して湯川と2着を争ったが3着に終わった。「このメンバーに入ると伸びていなかった。みんな出ていたけど、1番(石野)と2番(湯川)はすごかった」と脱帽しながら「3着で精いっぱいだった。舟券には絡めたので今回はこれでいい。また次もあるので」とサバサバ。早くも気持ちを切り替えていた。
湯川浩司 2着
Sは全速ではない。大きなズレはないけど、少し届いていなかった。脚は変わりなし。三拍子そろっていい脚だった。(石野選手に)いいターンをされたから仕方ない。
辻 栄蔵 4着
脚は良くなっていた。ただSがこんなに遅いとはむちゃくちゃショック。S展示が速かったから行けなかったわけではない。自分の勘通りに行った。また次で頑張る。
浜野谷憲吾 5着
進入はもっと思い切って行けば良かった。1Mはあそこしかないと思った。脚はいい感じに仕上がっていた。
萩原秀人 6着
最後の最後であんなSになって情けない。脚は最高の状態になっていた。石野君にも負けていなかったと思う。
石野貴之(いしの・たかゆき)1982(昭和57)年6月3日生まれ。28歳。大阪支部所属。90期生として02年5月住之江でデビュー。初優勝は03年10月の宮島新鋭リーグ。07年1月の大村新鋭王座でG1初優勝を飾る。父は元選手の石野美好氏。師匠は原田智和。高校時代は硬式野球部の名門・近大付で主将として活躍した。家族は妻、長男。