ジャパンカップダート |
カネヒキリ 死闘制してレコードV |
2005/11/26・東京競馬場 | ||||||||||||||||||||||||
その瞬間、武豊は「負けた」と思った。砂の英雄に、先輩猛者たちは大変な試練を用意していた。残り四百メートル手前で武豊が左ムチを抜くと、カネヒキリは素早く反応した。武蔵野Sで失敗したスタートを決めて道中は狙い通りサカラートをマーク。中団から外へ出し、あとは王者の蹄跡(ていせき)を刻むだけだった。
しかし残り二百メートル。先頭に立ったカネヒキリに内からシーキングザダイヤ、スターキングマンが猛然と迫った。横一線の叩き合い。左ムチのゲキに馬は懸命に四肢を伸ばした。だが武豊は「2着」と思ったという。 「ゴールして横山さんにおめでとうございますと言ってしまって…悪いことをしました」と苦笑いを浮かべた。それほどの死闘を、武豊とカネヒキリは底力で制圧したのだ。
走るたびに凄みを増しながら、ついに頂点を極めた。同じ3歳で勝ったクロフネとの比較でも「勝ち方は全然違うけど、勝てたことがすごく大きい」とうなずいた。歴史に残る名勝負で、3年連続3度目のJRA年間200勝を最速達成。またJRAのG1年間最多勝記録を6、さらに自身が持つ年間最高獲得賞金記録まで塗り替えた。 休養で疲れを癒やした後、来年は海外の夢が見える。角居師は「(質の違う)アメリカやドバイのダートに挑むなら馬のつくり方から変える必要がある。力のいる欧州の芝でもと思いますが、厳しい選択になるでしょう」と話し、武豊は「これからもっとパワーをつけると思うしトライしてみたい」と米国やドバイ挑戦に思いをはせた。 膨らむそれぞれの夢。ほんのわずかな、だがとてつもなく貴重な鼻差だった。(森本公久) |
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