黒沢清監督「映画の力を信じてます」
かつての同僚・野上から6年前に起きた一家失踪事件の分析を依頼された、元刑事の犯罪心理学者・高倉。唯一の生き残りの長女の記憶を辿るも、その核心には近づけないでいた。そんな高倉が最近、妻とともに引っ越した新居で出会ったのは、西野という奇妙な家族だった。ある日、西野の娘・澪が高倉に告げる。「あの人、お父さんじゃありません」。一家失踪事件と奇妙な隣人家族が繋がり始めたとき、高倉の妻に深い闇が迫っていた・・・。メガホンをとるのは、国際的な評価の高い映画監督・黒沢清。新作『クリーピー 偽りの隣人』について、評論家・ミルクマン斉藤が話を訊いた。
取材・文/ミルクマン斉藤
「物の怪とか、そういうのに惹かれるようです」(黒沢監督)
──今回の『クリーピー 偽りの隣人』は、いわゆるホラーというよりも厳密にはスリラーの域に属するものですね。
まぁ、厳密にいいますとジャンル的にはサイコ・スリラーなのかなぁ。昔、『CURE』(1997年)というのをやりましたけれども、それに近い。犯罪があって、それを捜査するというのが物語の主軸ですから。
──某かの、実在の犯人がいるということですね。
そうです。僕のホラー作品のなかで、人間的な犯罪がそこで行われているんだ、というものは意外に少ないですね。
──確かにそうかも知れません。しかし、『CURE』にしても、ホラーであっても『回路』(2001年)とか『叫』(2007年)とか、黒沢監督の映画では世界に巣食ったマイナスの思念であるとか、都市に根付いた悪意であるとか、そんな抽象的なものに事件の元凶が行きつくことが少なくない。今回もまた然りですよね。
原作にもそういう要素が若干ありますから。ちょうど都市と郊外の境目といいますか、住宅地が終わるいちばん外れ・・・そういったところに得体の知れないもの、悪意あるものがひっそりと棲み着いている。そんな雰囲気にとても惹かれるものがあるんです。この作品でも、恐ろしい廃墟とかは出てこないんですけれども、ごく普通の、でもちょっと寂しいご近所になにやら怪しげなものがある、っていう感じが立ちこめているんじゃないかと思います。
──まさに「マージナル(境界のあるさま)な場所」ですね。『回路』でも都市から工業地帯へと抜けていく場所に禍々しいものがあったりしました。
嫌いじゃないんですよね。そのあたりって、日常と非日常が微妙に拮抗していて、すごく古いものと新しいものが入り交じってたりして。「物の怪」って、だいたいそんなとこに棲み着くみたいなフォークロア(伝承、言い伝え)がありますからね。なんか、そういうのに惹かれるようですね。
──いよいよホラーじみてきましたね(笑)。
いやいや、これはホラーじゃないです(笑)。
──西野(香川照之)が最後のシーンで、高台から見下ろして「次の場所」の見当をつけますよね。ああいう個所が実に新しい。前段でも、主人公が追っている6年前の事件の現場となった家が2度にわたって俯瞰になります。ぐーっとキャメラが上昇して。そういう土地の有様、地勢があらかじめ強調して撮られています。
それはそうなんです。それがやりたいことのひとつでしたから。一見、ごく普通のところなんだけど、ちょっと見る角度を変えると「あれ? ちょっとこの辺変わってる」とか、「ここと此処は共通点がある」、「不思議な磁場をもっている」みたいな感じですね。ただ、これが大変だったんですよ(笑)。すべてオープン・セットで造るわけにはいかないですから、本当にそんな風に見える場所を探すとなると、まぁ簡単に見つからなかったですね。
──実際にあちこち探されたんですか?
探しました。それに、たとえ相応しい場所があっても、普通使わせてくれないわけですよ、こんな物語のために(笑)。かなり手間取ったんですけど、ようやく東京の住宅地の外れみたいなところに本当にこの家(西島秀俊&竹内結子の高倉夫婦が引っ越してくる家)がありまして。妙な配置に在るんだけど、ちゃんと人が住んでる家で。とても理解のある方で面白がってくれて、ポスターにまで使っちゃったんですけどね。
「映画は、先へ先へ進んでいった方が面白い」(黒沢監督)
──犯人像も原作からかなり変えられてますね。動機であったり人格であったり。そういう小説なんだから当然ですが、明らかに原作はミステリー寄りになっている。
ざっと言うと、映画にしたのは前半部分ですね。過去の因縁が複雑に描かれる後半もそれはそれで非常に面白いんですけれども、それをやっていくととても1本の映画に収まらなくなりますので、思い切って因縁や種明かしの部分は無くしてしまったんですね。
──西野の過去など、ほとんど描かれてないに等しいですしね。
僕、そういったところにあまり興味がないんですよ。
──よ~く分かります(笑)。
そんなこと言っちゃうから、普通の人間が犯した犯罪だと言いながら、だんだん「物の怪」の方に傾いていくのかも知れないのですけれども(笑)。理由も最低限必要だとは思いますが、映画って理由を表現するのがあまり上手くない・・・説明にはなっても、その描写そのものが面白くなるとは限らない。やっぱり映画は、「その先どうなる? そして、主人公はどうする?」という、先へ先へ進んでいった方が面白い。それでも疑問が残るところは最低限説明が必要なんですけれども、「何故」よりも「そしてどうなる?」の方が映画にとっては重要なのかな、と思い切ってこういう形式にしました。
──竹内結子さん演じる康子が、西野にだんだん取り込まれてしまう理由も説明されないですよね。もともと原作にはまったくない要素だから西野がどういう策を弄しているのかは分からないけれども、ある種の魅力を持った男なんだろうな、というのは察しがつく。
これは難しい判断だったんですけど、実は最初の脚本では、その過程を事細かに描写したヴァージョンもあったんです。しかし描写したところで、やはりそれは説明に過ぎないし、「こんな風にして取り込まれたのかぁ・・・それで?」っていうぐらいなもので。かつ、主人公・高倉演じる西島秀俊は、かつての同僚刑事・東出昌大と組んで、別の6年前の事件を追ってる。映画としてはこっちが主軸だから、説明でしかないものは思い切って省こうと、今の形になったんですね。
──映画とはまずアクション、ですからね。そういう部分を支えているのが黒沢組常連のスタッフさんだと思うんです。今回もカメラの芦澤明子さん、照明の永田英則さんはじめとするみなさんが、こんな禍々しい題材でありながらも楽しんでる空気を感じます。
毎回ですけども、まあ、楽しんでましたね。もちろんカメラを向ける中心に俳優がいて、それは非常に重要であることは間違いないんですが、映画っていうのはいろいろな要素で成立していますから。俳優の演技を中心に据えつつ、その後ろにいろんなものが映ってきて、俳優の演技を補強したり、あるいは俳優の演技とは違う裏切りのようなものとか、さまざまな表現が役者以外のところでできるはずだと信じておりまして。美術とか、カメラの動きそのものとか、光が差してくるのかこないのか、ということを楽しみながら、まぁ、気にならない方はまったく気にならないでしょうが、気付きだすとすごくその辺が複雑で、これが映画表現の豊かさかなぁと思ってやっております。
──例えば今回、黒沢組の真骨頂が発揮されるのは、6年前の事件の唯一の生存者である早紀(川口春奈)が、高倉の職場である大学で記憶を証言するシーンですね。もう、カメラも音響も照明も気になって仕方ないわけですよ(笑)。それがたまらなくスリリングで。
あそこは結構チャレンジというか、思い切ってやってしまいました。過去の説明シーンなので、うんと説明していいんだと。たぶんフラッシュバックで過去を見せる手もあるんですが、それよりも現在形で、それを語ってる人を撮って、その声を聞いている方がより過去のことを観客が想像できるのではないかと思って。でも(画面上)やっていることはただ俳優が動きながら喋っているだけなので、それ以外に映ってくるもので過去に起こったことをより鮮明により大きく、観客の心が想像できるように、あの手この手で工夫して。ま、とても楽しみながら。大変な撮影でしたけど(笑)。
──長回しワンカットで、話している途中でいきなり露出が下がったり、かと思うと、話者の横に固定マイクが用意されているにも関わらず、その話者が違う机の方に歩き出す。カメラが追うと、その先にも別のマイクが用意されているという(笑)。複数のマイク音声をミキシングするのであろう男も映っていますが、もうこれは映画の嘘としか言いようがない。
いろんなパートがあって、全員そろって1本の映画を撮っている。僕は贅沢に、できる限り全員の力を使いたいんですよね。俳優の力だけに頼ってしまうのでは、もったいない気がするんですよ。せっかく照明の人もいて、美術の人もいて、移動の人もいて、やっぱり全員で総力を結集してやれることはいろいろやると、より映画の力が出てくるはずだと信じているんです。
「往年の映画がそう、という刷り込みがある」(黒沢監督)
──このシーンの後ろにはずーっと不穏としか言いようのない謎のサウンドエフェクトが聴こえますよね? シャッター音のようなエンジン音のような風音のような、何の音か分らないのですけれども、同時録音ではありえないものが。
そうです。そうなんですよね。
──何の音なんですか?
いろいろです。ただ、あまりにも非現実的であったり、あまりにもドラマとかけ離れた音は入れていないつもりです。なぜなら、あそこは大学なので、映ってない場所でもいろんなことが行われていておかしくない。何かやっているだろうという想定のもとにいろんな音が入ってるという。すいません(笑)。
──いえいえ、楽しかったです。今回の音楽はオーケストラでしたけれども、フルオーケストラでガンガン鳴らすというよりも、管楽器と弦楽器の低音にパーカッションを被せるとか、音数を限定した曲がいいですね。
これはなかなか難しいんです。音楽を決定するのはあくまでも僕の感覚なので、絶対にそうである必要はないんですが、生のフルオーケストラで音楽を作りたいというのが基本にあって。それは、「往年の映画がそうだから」という理由で刷り込まれているんですけど、大映でも松竹でも、60年代くらいまでの映画ってちっちゃなホームドラマのようなものでも生のフルオーケストラしかないんですよ。
──そうですよね。
ただ、ジョン・ウィリアムス(『スター・ウォーズ』『E.T.』などで知られる映画音楽の第一人者)みたいにすべての楽器が鳴り響いているようにすると、「宇宙空間じゃないんだから、いくらなんでも近所でこんな曲流すんじゃねぇ」みたいな違和感もあってですね。それは少し慎みながら、でも、効果的な楽器が効果的に聞こえるように、生のフルオーケストラの豊かな情緒性は活かすということで。後は音楽の羽深由理さんにお任せしました。
──今回は基本はリアリズムとしても、いきなり逸脱するところが何カ所もありますね。判りやすいのは西野家の屋内セットですけれど、あの何の変哲もない玄関からどうやってあの部屋に繋がっているのか(笑)。改装したんだとしても大工事すぎやしないか。反リアリズムすぎてひきつり笑いしてしまいます。
そのあたりも試行錯誤しまして。本当にあったいくつかの事件を参考に原作も書かれていますから、これを生々しく、いわゆる文字通りのリアル、本当の事件そっくりに作ることができなくはなかったんです。ただ、果たしてそうするべきなのかという迷いもあって。それはそれで強烈に生々しい映画になったかもしれませんが、僕が思う娯楽映画からはだいぶ離れていくんです。後半に進むに従って、観てる人もどっかで「これはダーク・ファンタジーなのかな?」と思うように、徐々に路線をズラしていったというのはあります。陰惨な話をフィクションとして楽しめるようにお客さんに提示するには、生の手触りではなく、少し非現実っぽい方に寄せていこうと変えていきました。
──ひとつの陰惨な事件が終わって、エピローグに流れていこうとする繋ぎの車内シーンで、突然リア・プロジェクション(映画の特撮技法で、合成技術のひとつ。プロジェクター合成とも)ですか。バックガラスの向こうの空を黒雲がむくむくと覆っていく(笑)。
これも少し迷ってはいたんですが、香川さん演じる西野という役が撮っていくうちに愛おしくなってきたんですよ、僕のなかで。だから、彼に対する愛おしさを・・・なんか、それまでの流れを断ち切るかのように、ダーク・ファンタジーを通り越して、西野の心象風景みたいなものにしちゃった方が彼らしいなというような思いが出てきまして。多少非現実っぽくはしようと思っていたんですけれども、そこはもう思い切ってやっちゃえ、と。
──1950年代の「フィルム・ノワール(悲観的、退廃的な指向の犯罪映画)」に何故か多い車の移動シーンを思い浮かべますし、もっといえば鈴木清順さんの『俺たちの血が許さない』(1964年)で、小林旭と高橋英樹が荒海のなかを走っているようにいきなり切り替わるシーンとか。西野の家の玄関の造りなんかも『野獣の青春』(1963年)ぽいなあと思ったりしましたが。日常から突然、非日常に突入する感じも含めて。
ええ、清順さんほど思いっきりはできなかったんですけれども。でも、かつての映画では意外と平気でそういうことあったんですね。そう分かりつつ、お客さんは普通にそれを楽しんでいたし、今だって極端にやるとみんなびっくりするかもしれないですけど、『クリーピー』くらいだと一般の人は多少変だなと思っても、ことさら異議を唱えないと信じて僕はやりました。映画の力はこれぐらいあっていいんだと信じてます。大丈夫なはずです。怖いですけど(笑)。
(Lmaga.jp)
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