西川美和監督「他人が関わることで生まれるもの」
『蛇いちご』(2003年)でデビューして以来、『ゆれる』(2006年)、『ディア・ドクター』(2009年)、『夢売るふたり』(2012年)と、作品を発表する度に大きな話題となる気鋭の女性作家・西川美和監督。その新作『永い言い訳』は、監督自身が執筆し、『第153回直木賞』候補作にもなった同名小説の映画化。主演に本木雅弘を迎え、妻を亡くしても泣けなかった男が、同じ事故で妻を亡くした男の家族と関わることで生まれた発見と変化を繊細に描き出す。主人公は、これまで描いてきた人物のなかで、もっとも自分に近いと言う監督に話を訊いた。
取材・文/春岡勇二 写真/渡邉一生
「後悔の残る別れって、誰しも経験のあること」(西川美和監督)
──なぜ、今回は映画化よりも先に小説を書かれたのですか?
『永い言い訳』は、私の5本目の監督作品なので、ここでいつもと違う作り方をしてみたいなと思ったんです。これまでだと、どうしても映画のフォーマットで物語をつくっていこうとするんですよね。2時間で収めよう、予算を考えようと。つまり、自分に与えられた予算ではこのシーンが撮れるかどうかを考えた上で1行書くという。今回はそこから1度離れて、最初から映画にしようと考えた小説で、それをやってみようと。
──なるほど、そういう理由があったんですね。
準備段階では、登場人物の設定とかエピソードとか考えていたのに、映画になったときには陽の目をみなかったものもたくさんあるわけで、今回はそれらもとりあえず書いて形にしてみたら、結局映画では使えなくても諦めがつくかなって。そんな思いもありました。
──そうして、やってみていかがでした?
それはそれで難しさもあったのですが、やっぱり小説を書くときは責任をとらなくていい分自由ですね(笑)。小説は人もお金も抱えないので、自分ひとりで好き勝手に表現できて、表現の幅が広いし、楽しいなとは思いました。
──以前「映画は女房で、小説は愛人」、なんてこともおっしゃってましたね。
そうですね。ただ、楽しい反面、ずっとひとりの作業で、戦う相手も自分しかいない、その辛さ、淋しさも感じました。だから、書き続けることの難しさを思ったし、小説家の方たちはよくこんな孤独な世界を始めて、帰結して、そして、また始められるなって。私は小説の後には映画というお祭りが待っているので、書き終わったときには本当にホッとして。両方やってみて、それぞれの良さがあるなと思いました。
──映画作りは自分とも、またほかのいろいろなものと戦わなくてはならないときもあるけど、とりあえずひとりじゃなくて仲間がいますものね。
そうなんです。人とのふれあいのなかで悲喜こもごもあって、それが大変なんだけど楽しいんですよね(笑)。だから、今回も映画を撮るときにはもうなんか吹っ切れちゃっていて、小説は一度も読み返さなかったですね。
──そうなんだ。あまり小説に捕らわれるということはなかったわけですね?
ええ、小説の再現ではないところに、映画の良さがあるんじゃないかなと考えていましたから。キャラクターに関しても、映画は生身の人たちとのやり合いなので、例えば主人公を演じてもらった本木(雅弘)さんに関しても、小説に書いたキャラクターがこうだったから本木さんもこうしてよって言うんじゃなくて、本木さんのいいところを生かして、キャラクターを作りあげた方が絶対いいと思っていましたから。
──演じるにあたって、本木さんの方が小説に寄っていった?
真面目なんですよ(笑)。小説をものすごく読み込んできてくださっていて。私の方がもうあまり覚えてないぐらいの感じでしたね(笑)。
──物語全体の着想は、東日本大震災がきっかけだったそうですね。あのときメディアが報道していたような別ればかりでなく、後味の悪い別れ方をしてそれっきりになったようなどうしようもなく後悔の残る別れなどもあったはずだと。
そうですね、でも、考えたのは震災の直後ではないです。いろいろな悲しい別れの報道を見たり読んだりした後で、ここに出てきてはいない人が実は多くの思いを抱えていて、そのなかには人に言えないものも絶対あるぞ、と思ったんです。また、そういう別れって震災に限ったことではないですよね。しこりのように後悔の残る別れって、誰しも経験のあることじゃないかと。私にももちろんあるし。それでテーマになるかなと考えたんです。
「男性は、怖くて書けないでしょう?」(西川美和監督)
──ただ、それで考えられた「別れ」の設定が、夫が浮気している最中に妻が事故死するというもの。これはキツイですね。
大阪のインタビュアーの方はそこに食いつく人が多いですね(笑)。男性はこの設定、怖くて書けないでしょう? だから私が書いたんです、一番嫌な別れ(笑)。映画は「掴み」が大事ですから。
──確かに。その一番嫌な別れをしてしまう主人公・衣笠幸夫に、本木雅弘さんを起用したのは、どういったことから?
前から一緒にお仕事したい方だったのですが、これまでは合う役柄がなくて。今回の主人公は年齢設定とか役のイメージとか合うなと思いお願いしたんです。結果的には、もう主人公の幸夫は、本木さん以外に考えられません。これはご本人もおっしゃてることですが、本木さんと幸夫はリンクしている部分がかなりあったと思います。でも、その分、演じるのは大変ですよね。ある意味、人間の内面をさらけ出すような役でしたし。
──いい面でも悪い面でも、自分と重なる部分が多ければ多いほど、それを外に出さなければならない役は嫌でしょうね。
そう思います。本木さんもそれをやるんだという決意で現場に来られるのですが、いざカメラの前に立つとやはり相当抵抗がある。私もなんとか引き出そうとするので、2人して七転八倒の苦しみみたいな(笑)。でも、最後は本木さん本人が持っている人間らしさ、苦しみながらも魅力的で、誰もが共感して応援したくなる感じ、その力を借りて、主人公を具現化できたように思います。
──確かに、幸夫は嫌なところもたくさんある男だけど、どこか憎めない、不思議な魅力があります。その幸夫の相手役である、お互いに妻を亡くした男・陽一を演じた竹原ピストルさんがまた素敵でした。
竹原さんはオーディションだったのですが、満場一致で決まりました。幸夫役には本木さんが決まっていたので、陽一役が既成の俳優さんだとどうしても本木さんの引き立て役になってしまう気がして。誰か全然違う生き方をしている人の方が、面白い化学反応が起こるんじゃないかと。たとえば『どついたるねん』のころの、赤井英和さんみたいな。そんなときに竹原さんにお会いして、見た目もイメージ通りだし、愛情表現が真っ直ぐなのも陽一らしくて。ただ、本当は竹原さんは、陽一よりずっと繊細で、人の気持ちも汲む人ですけどね。
──そういえば、竹原さんもボクシング経験がありますね。
そうそう、その身体性も魅力でした。幸夫はすぐに頭でものを考える、いわば頭だけが肥大しているような人物で、一方、陽一はちゃんと自分の足で人生を踏みしめている、その対極性でもぴったりでした。
──そして、幸夫の亡くなる妻を深津絵里さんが演じています。深津さんを起用されたのは、どういったことからですか?
まず、この奥さんの役がすごく難しいんです。ほとんど冒頭にしか出てこないのに、それでいて主人公の物語の根っこにこびりついて離れない重しのような役ですから。観てる人にも忘れられてはいけないし、かといって大立ち回りがあるわけでもないから、日常的なシーンだけで心に入り込む強さ。さらに言えば、もう少し生きていて欲しかったなと思わせる、人を惹きつけるものがある人。そう考えていけば、深津さんかなと。
──たしかにぴったりの配役でした。
深津さんって、いまだにベールに包まれている部分があって、まだまだ未知というか、演じている役の人物も、また深津さん自身もなにを考えているのかなって観客に想像させる余地のある人ですよね。本木さんが、自身をさらけ出して演じるのに対し、深津さんは絶対に深津絵里というものを出さないし、その役の人物についてもすべて自分で考えてきて、相談も一切しない。今回初めてご一緒したのですが、強烈な印象を受けました。
「豊かな経験をさせてもらいました」(西川美和監督)
──あと、出演シーンは多くないですが、主役たちの脇に黒木華、池松壮亮、山田真歩という若手のいい俳優さんたちが配されていて、3人とも印象的です。
黒木さんはなんともいえない色っぽさがあって、その場の空気が変わる感じがしました。女優さんになるために生まれてきた人だなって思いましたね。まだまだ伸びしろのある人です。池松さんの役は、本当はもう少し年上を想定していたのですが、是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』(2016年)を観て、この人のキャッチアップ能力は抜群だなと舌を巻いて、今回の役をお願いしたんです。若いけれど、幸夫のことを静かに見透している担当編集者。良かったです、またご一緒したい俳優さんです。
──山田さんはどうですか?
山田さんは、深津さん、黒木さん、それに竹原さんの奥さん役の堀内敬子さんとかまた別の個性の女優さんを探しているときにお会いして、いいなと思ったんです。もともと編集者だったと聞いたのですが、役柄の取材の仕方とかが私たちに近い、作り手目線のところがあって、私はすごくコミュニケートしやすい人でした。
──この物語でとても重要な役割を果たしているのが、陽一の2人の子どもたちです。母を亡くして、幸夫が面倒をみることによって、彼自身の変化を促していく。監督にとって、今回、子どもたちを描くことにはどのような意味があったのでしょう?
私も幸夫も子どもがいないまま中年になってしまった人間で、そのような者たちが、子どもという存在とどう関わるか、ということですよね。それはいまの自分だからこそ書けることかなと思ったんです。普段接点のない、けっこう遠い存在である子どもとどんな関係が築けるのか、試してみたいという気持ちもありました。
──実際に小説に書き、映画も撮影されてみて、いかがでしたか?
ドキッとすることも言うし、意外に大人びているなとか、取材の段階から発見したことはいろいろありました。撮影に関しては、まず苦手意識から入っているんですよ。子どもが嫌いということではなくて、仕事に子どもを取り込むのが好きじゃなかったんです。相手が子どもだと思うと、自然とこちらのジャッジも緩くなるし。実際に、そこは甘くならないように頑張りました。特に妹役の子の集中力が2時間しか持たなくて、眠くなると機嫌が悪くなるし、さっきまでお利口だったのに突然騒ぎ出すしで、もう現場が保育所みたいになっちゃって(苦笑)。
──でも、それが子どもたちがいるってことですよね。
そう。今回9カ月かけて撮影したのですが、その間に目に見えて成長していくし、現場のスタッフもしばらく会えないと、あんなに大変だったのに「会いたい、会いたい」って言うし(笑)。今回撮影を通して、家族とか、家族に他人が関わることで生まれるものとか、子どもがいるということとか、頭では解っていたつもりだったものを改めていろいろと体験できましたね。素晴らしく、豊かな経験をさせてもらいました。
(Lmaga.jp)