楽天担当記者が知るマー君のすごさ
新ポスティングシステムで大リーグ移籍を目指していた楽天のエース・田中将大投手が、ヤンキースと7年契約を結んだ。メジャー挑戦の希望を報道陣へ打ち明けたのが2012年の12月。楽天にとどまらない、もはや日本を代表する投手が、夢をかなえるときがやってきた。
広島・前田、巨人・坂本、そして甲子園でも投げ合った日本ハム・斎藤。この年は大豊作といっていい年代だ。その中でも、田中の残した実績は、他選手を大きく引き離す。
メジャー挑戦を初めて打ち明けた会見では、他競技を意識する発言が印象的だった。「サッカーとかでも、海外にどんどん行っている」。マンチェスター・ユナイテッドの香川真司もまた、田中と同年代だ。
田中将大という人間への、マスコミやファンが作り上げるプレッシャーはそれまでも、相当なものだった。佑ちゃんマー君と騒がれ、ドラフト1位で新人王。北京五輪、WBCにも出場し、2011年には沢村賞。羅列するだけでもその実績のすごさがわかる。
だがその挑戦を表明した翌シーズン、彼はさらに、自らプレッシャーをかけた。2013年の春季キャンプ、久米島の浜辺で毎朝行われていた早朝の声出しで「今年の野球界の主役は、俺たち楽天だ!」と絶叫したのだ。開幕前の評論家たちの予想も軒並みBクラス。厳しい戦いを誰もが予想した中で、エースとして、チームを奮い立たせた。
結果はほとんどの方もおわかりだろうが、球団創設後初めてのリーグ優勝、そして日本一。その中で田中は開幕から無敗の24勝1セーブ。いくつ塗り替えたかわからないくらい、プロ野球の歴史を変えた。
優勝の興奮や騒がしさもおさまり、先日、改めて日本シリーズの映像を見返してみた。昨年、初めての敗戦投手となった第6戦。負けはしたが、一人で投げ抜いた160球。160球目の映像が焼き付く。「腕を振り抜く」という表現を超越したような、全身全霊で投じた一球だった。
この球団を、そして田中を取材して4年たった。「マー君は一球一球常に本気で投げるから、ケガにつながることも多い」。担当してしばらく、こういう話も聞いた。
だが、そういう雑音を結果で黙らせた。ピンチでギアを入れ替えると、必ずと言っていいほど失点せずに切り抜ける。野球の面白さを、何度も見せてくれた。160球を投げた翌日、胴上げ投手として再び登板。誰もが驚いた。1回を無失点。両手を高々と挙げ「どうだ!」とばかりに誇らしげな表情を浮かべた。
性格は人見知り。報道陣への口数は少ない。でも、聞いた質問はしっかりと自分の中で整理して、確実にコメントする。「頭のいい選手だな」と常々思う。記者の書く原稿も、新聞やネットでチェックしているのだろう。自分も何度か原稿で指摘され、自分のミスだと思えば頭を下げた。
高校時代から、常に注目の的。自分が話さなくても、周囲から漏れる話は山ほどあった。自分のことは多くを語らない田中。それでも毎日のネタは何かしら作っていかないといけないから、同僚や、関係者、田中を取り巻く環境を取材し、記事にする。
2年前、当時ルーキーで7勝を挙げ、大活躍だった釜田が、オフに田中と自主トレするという話を聞いた。それを記事にする前日、本人に伝えると「事前に言っていただけて助かります。ありがとうございます」と、言われた。少し驚いた。予定や秘密を記事にされるのが嫌なのではなく、知らないところで記事になっていることが嫌なのだ。考えれば当然のことだが、その時はハッとさせられ、同時に「もっとしっかりと向き合おう」と思った。
昨年末、メジャー挑戦が決まり、そこから海外メディアも含めてさまざまな情報が飛び交った。田中は今月、関東で報道陣シャットアウトで自主トレを行い、18日からコボスタ宮城で練習を行っている。練習中は同僚とリラックスした表情も見せるが、報道陣の前では「何も話せません」と、ほとんど無言で立ち去る。
これまで、どんなに打たれて負けた試合でも足を止め、しっかりと取材に応じていた右腕にしては珍しい。交渉ごと故に、極秘情報を話せないのは当たり前だが、たぶん、うそがつけないからだと思う。ドキッとする質問をされたときに、どう対応していいか。全て考えれば「何も話せません」という答えが、最大限のコメントになってしまうのだろう。
いよいよ、夢の挑戦。マー君としては、メジャーで結果を残すための、スタートラインに立ったに過ぎないのかもしれないが、野球ファンの期待は計り知れない。残り少ない取材期間に少しさみしさを感じつつ、楽天担当として、最後のコミュニケーションを楽しみたいと思う。
(デイリースポーツ・橋本雄一)