工藤監督に受け継がれた“王イズム”

工藤監督に祝福される王貞治球団会長(撮影・開出牧)
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 ソフトバンクが17日、2年連続リーグ制覇を果たした。南海時代の10度、ダイエー時代の3度と合わせて17度目のリーグ制覇で、1リーグ時代を含めると19度目の優勝となった。2007~09年にソフトバンクを担当したデイリースポーツ・折原良輔記者が、今年のチームに当時のチームを重ねてみた。

 ◇  ◇

 忘れられない試合がある。王貞治監督(現球団会長)の監督としてのラストゲーム。2008年10月7日、仙台での楽天とのシーズン最終戦だった。

 5位タイで臨んだ“最下位決定戦”は、延長十二回に当時の守護神・馬原が山崎武にサヨナラ打。まさかの幕切れで最下位が決まり、夜空からは退任を惜しむ“涙雨”が降った。

 「勝負師として勝てなかった。(この年は)しっかり指導できなくて悔しかった」。瞳を真っ赤に充血させて引き上げてきた姿が、今でも脳裏に浮かぶ。

 その2年前には胃の全摘出手術を受けていた。07年に現場復帰を果たしてAクラス入りしたが、CSで敗退。ユニホームを脱ぐ翌08年は12年ぶりの最下位に沈んだ。

 ヤフードームで退任会見に臨んだ08年9月23日早朝、孫正義オーナーから“最後の続投要請”の電話があったという。それまでも続投を求める声があったが、退任の決意が揺るがなかったのは、自身の考える“監督像”との乖離(かいり)があったから。

 「監督というのは、元気に先頭に立てる突撃隊長じゃないとダメなんだよ。これからのチームは選手の年と近い若くて一緒に動けるくらいの人がいい」

 当時は、その年8月のロッテ戦を休養したことなど、体調を考慮しての言葉だと思った。ただ、後を託され通算6年で優勝3回、日本一2回に導いた秋山幸二監督や、就任初年度で優勝した工藤公康監督が自ら打撃投手を務めるなどして選手と接する姿に、王監督の言葉が思い返される。

 結局、担当した2007年からの3年間は3位、6位、3位。小久保、松中らが中心選手だった当時のチームから、ぶっちぎりの優勝を果たした今季のメンバーはガラリと変わったが、変わっていなかったのは“王イズム”だった。

 王、秋山、工藤の3監督は、指揮官としてのタイプこそ異なるかもしれない。それでも選手としてダイエー時代から王監督を見てきた秋山、工藤両氏には、確かな“監督像”が受け継がれている。

(デイリースポーツ・折原良輔)

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