清原容疑者 栄光と転落の軌跡(前編)

 ▽1967年 8月18日、大阪府岸和田市で生まれる。

 ▽1983年 PL学園に入学。同期に桑田真澄がおり、その後2人で“KKコンビ”として、高校野球の歴史に名を刻む。甲子園には5季連続出場を果たし、優勝2度、準優勝2度。通算打率・440、通算本塁打は史上最多の13本塁打(春4本、夏9本)。本塁打記録はいまだに破られていない。

 ▽1985年 ドラフトでは、子供の頃から大ファンだった巨人への入団を希望したが、巨人は同期の桑田を指名。清原は南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神の6球団から1位指名され、抽選の結果西武が交渉権を獲得。直後の会見で涙を浮かべる姿が話題を呼んだ。同年、西武入団。

 ▽1986年 ルーキーイヤーは打率・304、31本塁打、78打点で文句なしの新人王獲得。

 ▽1987年 日本シリーズで巨人と対戦。西武3勝と王手をかけた6戦目、九回二死の場面で守備位置の1塁で号泣した。

 ▽1990年、自身初の1億円プレーヤーとなる。

 ▽1996年 オフにフリーエージェントで巨人に移籍。

 ▽1999年 このあたりから手や足の故障に悩まされ、前年まで続いていたシーズン20本塁打が途絶える。オフに肉体改造に取りかかり、ケビン山崎のジムに通うようになる。1日5食、鶏肉ばかりを食べ「背中に羽が生えてきそうや」と珍言。

 ▽2000年 初の開幕2軍スタート。渡辺恒夫オーナー(当時)から「(清原が1軍にいないから)勝利要因が増えた」などと言われるなど、屈辱的な扱い受ける。オフにモデルの亜希夫人と結婚する。

 ▽2002年 長男誕生

 ▽2004年 2000本安打達成も成績は12本塁打と低迷。オフにはトレード話も出たが残留が決まり「泥水をもすする覚悟で」の台詞を残す。

 ▽2005年 史上8人目の通算500本塁打達成も、シーズン途中で戦力外通告。この年に次男誕生。

 ▽2005年 オリックス・仰木彬監督(当時)からの誘いを受けオリックス入団。

 ▽2006年 通算1500打点、通算4000塁打などを達成。

 ▽2007年 左膝手術。1軍出場なし。

 ▽2008年 8月に引退発表。10月の引退試合では、対戦相手でもあり、ドラフトで桑田を指名した王貞治監督から花束を受け取り「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしよう」と言われる。試合後は阪神・金本知憲が花束を渡し、歌手の長渕剛もかけつけ「とんぼ」を歌った。プロ通算成績は2338試合、2122安打、525本塁打、1530打点。

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