牛込さん 渉外担当としての矜持
大洋・横浜(現DeNA)の渉外担当を長く務め、数多くの外国人選手を獲得した牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)氏=デイリースポーツMLB解説委員=が、4月9日に敗血症で死去していたことが4日、分かった。79歳だった。葬儀・告別式は本人の希望により家族・近親者で既に済ませた。
ボイヤー、シピン、ミヤーン、ポンセ、パチョレック、レイノルズ、ローズ、ブラッグス…牛込氏は数々の名助っ人を日本球界に送り込んだ。その根底には、渉外担当としての矜持があった。
大洋・横浜という、資金力に恵まれているとはいえない球団。大金を使って、メジャーで実績のある大物選手を獲得することはできない。「うちは巨人みたいなことはできないから」と漏らしたこともあった。だからこそ自らアメリカに足を運び、その目で見て、これぞと思った選手は粘り強い交渉で獲得にこぎ着けた。メジャー関係者とも親密に付き合い、情報収集を欠かさなかった。
記者が横浜担当をしていた1990年代前半の話だ。当時、ローズ、ブラッグスが在籍していた。ともに93年に横浜に入団。ローズはNPB在籍8シーズンで通算打率・325をマークし、99年には首位打者を獲得。ブラッグスは在籍した96年まで4年連続で2桁本塁打を記録している。いずれも超優良助っ人だった。
記者は球団関係者から、この2人の翌年の契約が白紙であるという話を聞いた。その理由は「結果を残して、わがままになっている」であったり、「契約交渉で年俸をふっかけてくるだろう」といったものだ。これを記事にしたのだが、翌日、牛込氏から呼び出された。
「誰がこんなことを言ってるんだ!2人を獲るのに、どれだけ苦労したと思ってるんだ!簡単にクビにできる選手じゃないんだよ!」。その怒りは半端なものではなかった。しばらくはあいさつしても返ってこなかった。後に聞いた。同じチームの人間に、時間をかけ、タフな交渉をして獲得した愛する選手を傷つけられたことが許せなかったのだという。
球史を彩った名助っ人たち。牛込氏の存在があったからこそ、その歴史はある。(デイリースポーツ・足立行康)