山下泰裕氏 盟友・斉藤仁氏への誓い
柔道男子の95キロ超級で1984年ロサンゼルス、88年ソウルと五輪2大会連続金メダルを獲得した全日本柔道連盟(全柔連)強化委員長の斉藤仁氏が20日、大阪府東大阪市の病院で亡くなった。54歳だった。
斉藤氏と、ロサンゼルス五輪無差別級金メダル、全日本選手権9連覇の全柔連・山下泰裕副会長(57)。3学年違いの2人は、80年代の日本柔道界をけん引してきたライバル同士だ。
山下氏が成し遂げた全日本9連覇のうち、83年からのラスト3年間の決勝の相手は斉藤氏。毎年激しい戦いを繰り広げてきたが、ともに五輪金メダリストとして対峙(たいじ)した85年の決勝は白熱戦した。開始から斉藤氏が積極的に攻め、返し技で山下氏とともに倒れ込む場面もあったがポイントにならず、その後の山下氏の反攻が実り、旗判定で9連覇を達成した。
山下氏はこの試合を最後に現役を引退。涙を浮かべた斉藤氏は、3年後のソウル五輪で“最後の砦(とりで)”として当時柔道界初となる五輪2連覇を果たした。最終日の斉藤氏の試合まで、日本男子は6階級で敗れて史上初の優勝者なしの大ピンチに陥っていたが、何とかお家芸を守った。
好敵手の突然の訃報に、この日、山下氏は沈痛な表情でNHKなどの取材に応え「現役時代、最大のライバルでありました。現役最後の試合も斉藤さんが相手でした。結果は自分が勝ちましたが、組んだ瞬間に『仁が俺を超えたな』と勝負師の直感で思いました。現役後も2人で力を合わせて信頼を失った日本の柔道を再建していこうという思いでやってきただけに残念です」などと語った。
まだまだその力が必要だった。斉藤氏は日本男子が初の屈辱となる金メダルゼロに終わった12年ロンドン五輪後、強化委員長に就任。そして再建に着手した直後の13年1月に女子日本代表選手らによる暴力指導問題が発覚し、斉藤氏は柔道界再生に奔走していた。
「笑顔で安心して見てもらえるような、そんな柔道界をつくっていく」と、かみ締めるように話した山下氏。強い信頼関係で結ばれた盟友への誓いだった。