ハーディングさん あの襲撃事件語る
1994年のリレハンメル冬季五輪前後に起きたスキャンダラスな事件によって「銀盤の悪女」として世界中の注目を浴びたフィギュアスケート女子元米国代表のトーニャ・ハーディング(44)さんが、6日放送のTBS系「爆報!THEフライデー」に出演。単独インタビューに答え、「あの騒動のおかげで私の人生は台無しになりました」と振り返った。
ハーディングさんはリレハンメル冬季五輪を1カ月後に控えた94年1月6日に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」への関与で、後に全米スケート協会から永久追放された。自身ととともに同五輪に米国代表として出場したナンシー・ケリガン(45)さんとはライバル関係にあった。
米ワシントン州に在住するハーディングさんは現在、本人いわく「体重64キロ」というふっくらとした体形で登場したが、顔は体重40キロ台前半だった21年前の五輪当時の面影を残していた。
番組スタッフの来訪に当初はいぶかしげな表情を見せていたが、分厚いギャラの札束を見せられると、笑顔に一変。「ようこそ来てくれたわ」とスタッフを抱擁して歓迎した。
94年当時のハーディングさんの元夫がケリガンさんを襲撃した事件は、日本を含め世界中で大きく報じられ、捜査にはFBIも加わった。鉄パイプで着地足である右膝を殴打されたケリガンさんは、五輪代表選考会を兼ねた直後の全米選手権を欠場。ハーディングさんはこの大会で優勝して五輪出場権を獲得した。
しかし、事件直後から事件関与への疑いがかけられ、ハーディングさんは五輪出場権をはく奪されかけたが、法的措置を主張して代表の座に居座った。
ハーディングさんは騒動のさなかにノルウェーに入国して五輪本番に登場。フリーでは演技に入ってから、冒頭のトリプルアクセルを失敗した時点ですぐに泣き出して演技を中断。フェンスに右足を乗せて、靴紐がほどけたことを審判員にアピールするなど、ここでもフィギュア史に残るお騒がせぶりを発揮した。
ちなみにケリガンさんも特例としてリレハンメル五輪に米国代表として出場し、92年アルベール五輪での銅メダルをしのぐ銀メダルを獲得した。
リレハンメル五輪後の94年3月に元夫は逮捕され、ハーディングさんは「捜査妨害」の罪で執行猶予や500時間の奉仕活動、罰金1600万円などの量刑を科せられた。また、裁判にかかった費用4000万円も合わせて、その後は借金生活を強いられたという。
ハーディングさんは女子プロボクサーへの転向を図ったが3試合で引退。さらにハリウッド女優への道も頓挫。インタビューでは極貧生活の中で、時給500円の庭の除草作業などで生計を立ててきたことを明かした。
2010年に結婚。翌11年には40歳で男児を設け、現在は幸せに暮らしていると、面影の残る笑顔を見せた。スケートの指導にもあたっているが、スケート協会からの追放処分は解かれておらず、公式な会場へは現在も出入り禁止になっているという。
この日の番組ではハーディングさんが「ナンシー・ケリガン襲撃事件」4年後の98年に、ケリガンさんも出演した事件の回想番組に登場して謝罪し、ケリガンさんからは「あたたも幸せになって」と返された和解シーンも放映された。
インタビューの最後に、床の上で現役時代のジャンプを披露しようとしたハーディングさんは、大きめの体を真っすぐに伸ばして1回転の飛びを見せると、「靴紐がほどけたからもう1回お願いね」と自虐ネタのジョークで笑わせていた。