たかじんさん サブローのために土下座
たかじんさんの突然の訃報を受け、関西のタレント仲間は数々の“武勇伝”とともにその死を悼んだ。関西テレビ「たかじん胸いっぱい」(土曜、正午)でたかじんさんの代役としてMCを務めている大平サブロー(57)は、大阪市内で会見。1988年に吉本興業から独立した後、93年に“出戻り”の形で吉本に復帰した際の土下座エピソードを披露した。
たかじんさんとは、24歳頃、放送局で初対面。「ええ漫才するらしいなあ」と言われ、以来30年以上の付き合いだった。
酒、たばこ、女を愛したたかじんさん。サブローは「芸人はおごってもらったらあかん、自分の金で飲まな栄養にならん」と常々話していたことを明かした。また、「長居したらアカン」と店に入れば、長くて、水割り1、2杯で次の店へ店に移るという“飲み方の流儀”もあったという。
奔放で思いつきの発言のように思われるかもしれないが、実は「勉強熱心」(サブロー)だったたかじんさん。自宅にはビデオデッキが10台ぐらいあり、ニュースからドラマまで幅広く録画し、“研究”は欠かさなかった。その理由を聞くと「誰が俺の悪口を言うとるんかチェックしとるんや」と笑っていたという。
また、一度は独立した吉本に戻りたいと思った時期に、たまたまクラブでたかじんさんに会ったところ、当時の吉本の会長と常務のところに連れていかれ、「お前ここで土下座せえ」と言われたエピソードを披露。たかじんさんは「こいつを吉本に戻したっておくんなはれ」と土下座してくれ、会長と常務が「頭をあげてください」と慌てると、「よっしゃ」とサブローと会長と常務を握手させたという。
サブローは「あれがかなりの後押しになりました」と恩人に感謝。「涙は出るけど、まだ実感が沸かないですね」と突然の別れを悲しんだ。
たかじんさんは、当時弁護士だった橋下徹氏(現大阪市長)が大阪府知事選に立候補した際にも出馬を後押し。フリーアナウンサーの宮根誠司がABC(朝日放送)の局アナからフリーに転身する際も、当時のABCの社長に「辞めさせたってくれ、こいつに勝負させたってくれ」と直談判した。