山田洋次監督 健さん初対面「鮮烈」
俳優の高倉健さんが都内の病院で10日に83歳で死去していたことを受け、映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)で監督を務めた山田洋次氏(83)が18日、東京都内で取材に応じた。
数年前に映画祭の楽屋で会ったのが最後だったという山田監督は訃報に、「健さんのことだから覚悟して従容として死につかれたと思う。もし、健さんにそう言ったら『とんでもないよ』と笑うかもしれないですね。『たくさん苦しんだよ、悲しかったよ』と。健さんの心の内はわかりませんよ」。最期も周囲に気を配り、ひっそりと息をひきとった高倉さんを悼んだ。
16年公開の映画「家族はつらいよ」のロケを都内で行っていた山田監督。健さんの活躍する姿を支えに仕事をこなしてきたといい、「健さんが元気でいてくれることが僕にとって、どれだけ大きな励みか。健さんがまた仕事に入ると聞いたときは、僕もまたがんばれるなと思っていた。健さんがいなくなってしまったら…。僕もすっかり気落ちしてしまいますね」と肩を落とした。
初対面は77年公開の映画「幸福の-」をオファーしたときのことだった。監督が宿泊していた東京・赤坂の宿に上下ジーンズ姿で高倉さんが現れたといい、「非常に鮮烈でした」と振り返った。物語の説明をすると、健さんは「僕はいつ体をあければいいですか?』と即答してくれたという。監督は「階段をトントントンと降りて見送ったら『僕はとても今日は、うれしいですよ』と言って出て行った。足早にね。『ああ、よかった』と思った日のことを僕は忘れることができませんね」と語った。
最後に監督は高倉さんの存在について、「長い映画人生を歩んできたけど、巡り会った2人の偉大な俳優。渥美清さんと高倉健さん。それは間違いない」。渥美さんも高倉さんと同じようにひっそりと息をひきとったといい、「いまごろお2人が巡り会って、話しをしてらっしゃるかなと。ちょうど、『黄色いハンカチ』にも2人が久々に出会うシーンがある。あのときの情景が僕の目の前に浮かんでます」と名優との別れを惜しんでいた。